大久保栄次著 印刷書籍・電子書籍 エーゲ海ミノア文明・ミケーネ文明の遺産 遺跡と出土品詳細データ |
ミケーネ文明の工芸美術を旅する 「金&銀製品・宝飾品」 |
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・サブタイトル: 精密イラスト画による出土品のデータ解説 ・表記: 日本語 ・形式: e-book/Webダウンロード ⇒ PC・タブレット端末・スマートフォン ・サイズ: 350ページ(kindle画面相当) 容量298Mb ・販売: Amazonネットワーク/Amazon.co.jp |
内容概要: 本電子書籍はエーゲ海の先史ミケーネ文明遺跡から発掘された出土品の「精密イラスト画&データブック」です。本電子書籍では、ミケーネ文明センターであったミケーネ宮殿遺跡を初め、アルゴス地方〜メッセニア地方〜ラコニア地方のミケーネ文明の重要遺跡からの主要出土品の内、一際優れた金・銀製品、および宝飾品170点をピックアップしています。 本電子書籍で解説する出土品の90%以上は精密イラスト画で、残りは写真で公開します。アテネ国立考古学博物館を初め、ペロポネソス各地の考古学博物館で展示公開されている出土品の中から、特に厳選した重要な作品を介して、ミケーネ文明の「工芸美術の世界」へ誘います。 内容: I 「ミケーネ文明」とは? II 金製品/カップ III 金製品/リング IV 金製品/デスマスク 胸当て 王冠 V 金製ネックレース イヤリング ヘアピン VI 金製装飾品/小物・シート加工品 VII 銀製品 VIII 半貴石・ガラスペースト・青銅製の宝飾 |
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サンプル・ページ:(抜粋) ---------- ミケーネ宮殿遺跡関連の金製品では、先ず宮殿区域の円形墳墓Aとその西方の円形墳墓Bから出土した金製カップGold Cupに顕著な特徴をみることができる。 カップの形状は多種、その装飾ではハンドルを付けただけの金の光沢感を優先させたのか無装飾の作品、伝統的な高貴なモチーフであるロゼッタ紋様や渦巻き線、あるいは動物形容のピンポイント装飾、さらにカップ側面には自然主義のミノア文明の影響を受けた雄牛やレパード(ヒョウ)や海洋生物のイルカなどの打出し表現が施された。 そしてカップ口縁部やハンドルでは、ミケーネ文明独特とも言える単純なループカーブするリングハンドルやヴァフィオ型の頑丈なハンドル仕様、そして銀製カップSilver Cupにも共通する装飾技法である手の込んだ造粒装飾の作品も見つかっている。 II-01 金製ゴブレット杯 ![]() 出土遺跡:ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・竪穴IV墓 表現:金製ゴブレット杯/押しつぶれ状態で出土/ハンドル&フット部=造粒装飾 年代:LHI期・紀元前1550年頃 展示:NAM・登録番号351 現地:ペロポネソス・アルゴス地方 描画:大久保栄次 胴部のロゼッタ紋様の打出し装飾はクレタ島ミノア文明の影響を受けているが、リングハンドル仕様は多くの金製カップや陶器で採用されているミケーネ文明の特徴を表している。 オリジナルは王家の装飾品に相応しい非常に美しいゴブレット・リュトン杯であり、「豪華」な副葬品がもたらされた円形墳墓Aと円形墳墓B、ミケーネ地区の横穴墓群からの出土品の中で「最高レベルの宝飾品」の一つと言える。 ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A ![]() 遺跡:ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓Aを囲む二重の石板サークル 中央左=最大級竪穴IV墓・中央右=竪穴I墓 年代:MHIII期〜LHI期・紀元前1625年〜前1500年 現地:ペロポネソス・アルゴス地方 撮影:1982年 GPS:37°43'49.50''N 22°45'23''E/標高240m ギリシア西部、現在、UNESCO世界遺産に登録されているペロポネソス・アルゴス地方のミケーネ宮殿遺跡の城壁の “内部” で、ドイツ人実業家シュリーマンは、1876年、最大外周径27.5mの二重の石板サークルで囲まれた紀元前16世紀に遡る、「円形墳墓A/Grave Circle A」と呼ばれる大型の墳墓(墓地)を発見した。 ミケーネ宮殿遺跡の円形墳墓Aは、ミケーネ宮殿区域の主城門となるライオン門Lion Gateを入り、宮殿内部の直ぐ右側に位置している。 1876年8月にスタートしたシュリーマンのミケーネ宮殿遺跡での発掘ミッションでは、当初、60名ほどの作業員を雇用したが、作業開始の直後から次々に驚くほどの見事な出土品がもたらされ、期待に胸膨らませたシュリーマンは、二週間後、作業員を倍の総勢125名に増員し発掘作業に拍車を掛けた。そしてシュリーマンはすでに1840年代の初め頃、ギリシア考古学協会が確認していたライオン門の周辺〜宮殿内部を徹底的に調査&発掘を行った。 円形墳墓Aでは、シュリーマンの発掘作業で「竪穴T墓〜竪穴X墓」が、その後、ギリシアの研究者パナギオティス・スタマタキスPanagiotis Stamatakisにより「竪穴Y墓」が発見された。当初、シュリーマンはこの円形墳墓Aの区画を、後世の古代ギリシアの公共広場&市場を意味する「アゴラAgora」と呼んだ。 ![]() 遺跡:ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A周辺 プラン図 現地:ペロポネソス・アルゴス地方 作図:大久保栄次 II-02 金製浅カップ ![]() 出土遺跡:デンドラ遺跡・横穴墓10号墓 表現:金製浅カップ/胴部=連鎖するツタ葉の打出し加工・ロゼッタ紋様 口縁部・リングハンドル=造粒装飾 年代:LHIIIA1期・紀元前1400年〜前1375年 展示:NAM・登録番号8743/口縁部径D130mm・高さ(ハンドル除く)H50mm 現地:ペロポネソス・アルゴス地方/ティリンス宮殿遺跡〜北北東7km 描画:大久保栄次 GPS:37°39'24''N 22°49'32''E/標高60m 上から見ると「8弁」の花びらのような曲線的な形容、ほとんど間違いなくクレタ島クノッソス宮殿の金属工房で製作された後、ミノア王からの「献上品」と断定できるカップの造粒装飾が施されたハンドルは、ミケーネ陶器で流行したループするリングハンドル仕様である。 ハンドル上部は二個のリベット留め、一個のリベット留めのハンドルの最下部の直ぐ下、胴部には小さな重ねパピルス花が打出し加工されている。紀元前1375年頃、ミノア文明からの献上品カップにミケーネ職人の手によりハンドルなどが追加最終仕上げされた可能性を否定できない。 II-03 ヴァフィオ型金製カップ(1) 「王家のトロス式墳墓」から対(2個)で出土した金製カップは、クレタ島のミノア文明の典型的な工芸モチーフであった雄牛とミノアの若者をレリーフ彫刻のような精巧な打出し加工で表現している。走り回る雄牛とロープで取り押さえる若者の「動的」なシーンの打出し加工は、クレタ島ミノア文明の影響を受けたミケーネ職人の手による製作か、あるいは距離的に近いことからミノア文明からの輸入品・貢物であった可能性が高い。 ![]() 出土遺跡:ヴァフィオ遺跡・「王家のトロス式墳墓」 表現:ヴァフィオ型金製カップ/モチーフ加工:クレタ島ミノア様式 年代:LHIIA期・紀元前1500年〜前1450年 展示:NAM・登録番号1758/口縁部径D108mm 現地:ペロポネソス・ラコニア地方 撮影:1982年 II-04 ヴァフィオ型金製カップ(2) ![]() 出土遺跡:ヴァフィオ遺跡・「王家のトロス式墳墓」 表現:ヴァフィオ型金製カップ/モチーフ加工:クレタ島ミノア様式 年代:LHIIA期・紀元前1500年〜前1450年 展示:NAM・登録番号1759/口縁部径D108mm 現地:ペロポネソス・ラコニア地方 撮影:1982年 若者に取り押さえられ大人しくなった雄牛の「静的」なシーンの打出し加工で表現している。 II-03カップの「動」と「静」の対照的情景を「物語」のように表現した二つの見事な金製カップは、ミノアの若者の力強い肉体、雄牛の体表のシワや盛り上がった筋肉などを含め、動物と人の各々の特徴と微妙な動作をレリーフ彫刻にも似た最高度の打出し加工で写実的に主張している。 余りの素晴らしいデザインとその形容から研究者の間では、この金製カップは先史文明の金属容器と陶器様式のモデルとなり、「ヴァフィオ型カップ(杯)Vaphio style Cup」と呼ばれている。 ヴァフィオ遺跡・「王家のトロス式墳墓」 ![]() 遺跡:ヴァフィオ遺跡・「王家のトロス式墳墓」(1982年時点) 状態:中型サイズのミケーネ様式トロス式墳墓 年代:LHIIA期・紀元前1500年〜前1450年 現地:ペロポネソス・ラコニア地方・スパルタ市街地〜南南東7km 描画:大久保栄次 GPS:37°01'13''N 22°28'04''E/標高195m 二個(対)の素晴らしい金製カップが出土したのは、ペロポネソス・ラコニア地方のスパルタ近郊ヴァフィオ村Vaphioの「王家のトロス式墳墓」からである。 著者が現地を訪ねた1982年の簡易測定では、トロス式墳墓の内径は約10m、通路ドロモスは幅3.8mx長さ30m以上と推測でき、入口付近はほぼ崩壊に近い状態、トロス部の残存壁面は最大高さ1.6m。木板の補強施工があるが、周囲のオリーブ畑から土砂が崩れ落ちるような荒れた状態であった。 II-16 ヴァフィオ型金製カップ ![]() 出土遺跡:ミケーネ地区・円形墳墓B・竪穴Γ墓 表現:ヴァフィオ型金製カップ/ミケーネ様式リングハンドル 上下二段で連鎖する細い縦溝の打出し加工 年代:MHIII期・紀元前1625年〜前1550年 展示:NAM・登録番号8704 現地:ペロポネソス・アルゴス地方 描画:大久保栄次 円形墳墓Bは円形墳墓Aの埋葬が行われる前、王家・親族、あるいは一部高位身分の人達の埋葬に使われた「墓地」である。 要するに、初期ミケーネ文明の王家の関係者の埋葬では、先ず中期ヘラディックMHIII期・紀元前1625年〜前1550年の間、円形墳墓Bが使われ、その後、サークル内にほぼ隙間なく墳墓が配置され手狭となったことから、紀元前1600年前後から埋葬が円形墳墓Aへ移行した、と考えられる。 ![]() 遺跡:ミケーネ地区・円形墳墓B周辺 プラン図 年代:MHIII期・紀元前1625年〜前1550年 現地:ペロポネソス・アルゴス地方 作図:大久保栄次 ミケーネ文明の円形墳墓の「A」・「B」の違いは、埋葬時期の古さではなく、「発掘の順番」から名称されたもので、1876年にスタートしたシュリーマンによるミッションで宮殿区域の “内部” から発掘された円形墳墓を「A」、その後、宮殿区域の”外部(駐車場の東方)”から1950年代の発掘で確認された円形墳墓を「B」としている。 円形墳墓Aとは異なり円形墳墓Bは厚さ1.5mほど、高さが1m〜1.2mの石組みされた壁面サークルで囲まれ、その推測外周径は円形墳墓A(約27.5m)とほぼ同じで約28mであった。発掘では壁面が部分崩壊していたこと、さらにミケーネ村からの車のアクセス道路建設で二つの墳墓を含む壁面サークルが破壊されたことで、石組みの完全なサークル遺構が確認されていない。 円形墳墓Bでは、サークル内にランダム配置で大きさも異なる合計26基を数える墳墓が確認され、その内14墓は円形墳墓Aとほぼ同じ構造の石組みの竪穴墓、6基は石板囲いのキスト墓、残り6墓は単純な方形のピット墓の仕様であった。ほとんどの墳墓には石碑(墓標)が建てられ、比較的大型の墳墓の石碑には狩猟シーンが浮彫レリーフされていた。 III-18 金製シグネットリング ![]() 出土遺跡:ミケーネ地区・市街地・横穴墓68号墓 表現:オーバル形状の金製シグネットリング 互いに振り向くグリフィン二頭/アーム部=三列の造粒装飾 年代:LHII期〜LHIIIA1期・紀元前1400年 展示:NAM・登録番号2970/横L30mm 現地:ペロポネソス・アルゴス地方 描画:大久保栄次 デザイン的にも写実的にも非常に安定した上質な絵柄、グリフィンの鶏冠は渦巻き線、頸部はネックレースのような装飾、胸部〜羽根は連鎖する大きな渦巻き線で強調されている。 羽根筋は丁寧な点描表現、グリフィンの細い尾は上品に垂直に伸び上がっている。印面の余白にはわずかに植物の葉のような刻みと地面の表現が確認できる。ほぼ左右対称の対のグリフィンの精緻な彫刻からは、茶化しや遊び心を一切省いた腕の立つ工房職人の高い技巧レベル、謹直な「職人魂」を感じる。 アーム部(輪部分)は三列の微細粒による「黄金の造粒技術」の仕様である。 III-19 ビーズ形式 金製印章 ![]() 出土遺跡:ネストル宮殿遺跡Nestor’s Palace・「王家の墳墓」・トロス式墳墓IV墓 表現:クッション形状・ビーズ形式・金製印章 羽根を広げるグリフィン・トリグリフ紋様/裏面=菱形(網目)紋様 年代:MHIII期〜LHIIA期・紀元前1650年〜前1450年 展示:NAM・登録番号7986/L27mm・W21mm・厚さT6mm 現地:ペロポネソス・メッセニア地方 描画:大久保栄次 ネストル宮殿遺跡Nestor’s Palace 「王家の墳墓」・トロス式墳墓IV墓 ![]() 遺跡:ネストル宮殿遺跡・「王家の墳墓」・トロス式墳墓IV墓(1982年時点) 状態:ミケーネ様式トロス式墳墓/トロス部内径9.35m・埋葬床面=「半地下式」 天井部=発掘後のコンクリート復元 年代:MHIII期〜LHIIIA期 埋葬:紀元前1650年〜紀元前1450年まで継続的に200年間 〜紀元前1350年頃まで断続的に100年間 現地:ペロポネソス・メッセニア地方/ネストル宮殿遺跡〜北東150m 描画:大久保栄次 III-33 ビーズ形式 金製印章 ![]() 出土遺跡:ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・竪穴III墓 表現:クッション形状・ビーズ形式の金製印章/ライオンと闘うミケーネ勇者 年代:LHI期・紀元前1550年〜前1500年 展示:NAM・登録番号33/横L20mm・縦W15mm・厚さT5mm 現地:ペロポネソス・アルゴス地方 描画:大久保栄次 現実にはあり得ない人と大型動物の格闘シーンだが、長方形の印面には余計な具象はなく、前脚を伸ばした大型のライオンと闘うミケーネ勇者の姿が刻まれている。 勇者の左手はライオンの胸付近に伸び、右手には短剣を構える。ライオンは「戦いの勝者」の象徴だが、その獰猛なライオンに果敢に挑む勇者の姿は、好戦的なミケーネ人の意識にさらに強さを付勢した表現と言える。 IV-01 金製デスマスク 《アガメムノンの金製マスク》 ![]() 出土遺跡:ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・竪穴V墓 表現:死者の顔を覆うデスマスク/打出し加工 ・1976年・シュリーマン提唱=紀元前13世紀・《アガメムノンの金製マスクGold Mask of Agamemnon》 ・研究者判断=“アガメムノン王” より300年以上古い時代の “王” の死者マスク 年代:LHI期・紀元前1550年 展示:NAM・登録番号624/H250mm・重さ168.5g 現地:ペロポネソス・アルゴス地方 撮影:1987年 金・銀合金 「エレクトラムElectrum」 ミケーネ文明では宝飾品の金属材料として、最高品の「金」、次に「銀」、そして「青銅」が挙げられるが、金と銀の合金・「エレクトラム(現在Green Gold)」と呼ばれる金属は、金・銀の混合量で色彩が琥珀色〜淡黄色〜白銀緑色などへ変化し、特に青銅製の装飾短剣などの象嵌加工に使われた。 円形墳墓A・竪穴IV墓からの青銅製の短剣では、刀身に「ライオン狩り」のシーンをニエロ金属の地に金とエレクトラムの象嵌加工が、また円形墳墓A・竪穴V墓からの短剣ではエレクトラムのユリの花の象嵌加工が施されている。 ![]() 出土遺跡:ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・竪穴IV墓 表現:青銅製の装飾短剣(拡大)/金製リベット 刀身=「ライオン狩り」のシーン/ニエロ金属の地・金&エレクトラムの象嵌加工 年代:LHI期・紀元前1550年頃 展示:NAM・登録番号394/短剣長さL237mm 現地:ペロポネソス・アルゴス地方 撮影:1987年 ![]() 出土遺跡:ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・竪穴V墓 表現:青銅製の装飾短剣 ・柄Hilt=金装飾・ユリの花の打出し加工 ・刀身=ニエロ金属・エレクトラムのユリの花の象嵌加工 年代:LHI期・紀元前1550年 展示:NAM・登録番号764/長さL180mm 現地:ペロポネソス・アルゴス地方 描画:大久保栄次 V-07 金製ネックレース ![]() 出土遺跡:ミケーネ地区・円形墳墓B・竪穴O墓 表現:渦巻き細線ビーズの金製ネックレース 年代:MHIII期・紀元前1625年〜前1550年 展示:NAM・登録番号8649 現地:ペロポネソス・アルゴス地方 描画:大久保栄次 円形墳墓B・竪穴O墓には、複数の女性が埋葬されていたことから、金製の渦巻き細線を左右対称に丁寧に捻り(ひねり)加工しビーズを連ねた、現代にも通用できるほどセンスの良いネックレースは、初期ミケーネ文明の時代、宮殿に関係する王族など高位身分の女性被葬者が着用していた。 円形墳墓B・O墓からの出土品 水晶製容器(化粧具) ![]() 出土遺跡:ミケーネ地区・円形墳墓B・竪穴O墓 表現:水晶製の容器(化粧具?)注ぎ口付きアヒル形容 ・ミノア文明からの輸入品? 年代:MHIII期・紀元前1600年頃 展示:NAM・登録番号8638/L132mm ・H=口縁部42mm・頭部47mm 現地:ペロポネソス・アルゴス地方 描画:大久保栄次 V-09 金製イヤリング ![]() 出土遺跡:ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・竪穴III墓 表現:打出し加工の金製イヤリング/微細な造粒装飾 モチーフ:連鎖する植物の花弁 or 種子形容の紋様 年代:LHI期・紀元前1550年〜前1500年 展示:NAM・登録番号61/外幅L76mm 現地:ペロポネソス・アルゴス地方 描画:大久保栄次 大人女性三人・子供二人が埋葬された円形墳墓A・竪穴III墓から出土した「豪華」な副葬品の中で、対を成している外幅76mm、大型の金製イヤリングは見逃せない宝飾品の一つ、その加工技術は注目に値する。この金製イヤリングは先ず精緻な打出し加工を施した四枚の金薄板を作り、二枚ずつ重ねて接着ロウ付けを行い、二個(対)のイヤリングとしたもので、共に各々表裏が同じデザインとなっている。 ただ完成したイヤリングは二個共に表裏の、特に突起部分が微妙に位置ズレした形容となっている。イヤリングの表現具象のモチーフでは、四枚の細い花弁が、あるいは脱穀する前の浅い縦溝付きの籾米(もみごめ)に似た何か植物の種子が、小さな中心点から十字形に放射するような絵柄デザイン。内周縁は非常に細かな造粒加工、一方、水の飛沫(しぶき)が飛び散るような外周の先端には、ビジュアル効果を狙うアクセントとして丸みを付けた大小サイズの目立つ突起が付けられている。 同種の金製イヤリングは、現在までにクレタ島ミノア文明と本土ミケーネ文明を通じて、円形墳墓A・竪穴III墓以外からの出土例がない。故にこの金製イヤリングは竪穴III墓に埋葬された一人の高貴な女性のために限定製作され、それはミケーネ宮殿に住んだ間違いなく宮殿最高位の王妃の「ご自慢の宝飾品」であったことは疑いの余地がない。 V-13 金製ペンダントトップ付き銀製ヘアピン ![]() 出土遺跡:ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・竪穴III墓 表現:金製ペンダントトップ付き銀製ヘアピン/ミノア文明の女神・垂れ下がるヤシの枝葉 or パピルス花 ペンダント=クレタ島ミノア文明からの献上品? 年代:LHI期・紀元前1550年〜前1500年 展示:NAM・登録番号75/ペンダントトップW67mm・銀製ピン長さL215mm 現地:ペロポネソス・アルゴス地方 描画:大久保栄次 VI-01 金製シート加工品 「座る雄牛」 金製の宝飾品・装飾品のうち、比較的小さな置物を初め、衣装などに縫い付けた装飾シート品、あるいは家具などの装飾に使った小品や木製ボタンの表装用など、それらは建物遺構からではなく、ほとんどは被葬者が生前に使い愛用・着用した物であり、副葬品として埋葬墳墓から見つかっている。 ![]() 出土遺跡:ミケーネ地区・市街地・横穴墓68号墓 表現:金製シート加工品/座り姿勢の雄牛形容・両角先端=円形の盤の垂れ飾り 年代:LHII期〜LHIIIA1期・紀元前1400年頃 展示:NAM・登録番号2941 現地:ペロポネソス・アルゴス地方 描画:大久保栄次 VI-15 金製シート品 「向き合うライオンの子供」 ![]() 出土遺跡:ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・竪穴III墓 表現:金製シート打出し加工品 ・ヤシの枝葉・ネコ科動物(ライオン子供?)二頭が向き合うシーン 年代:LHI期・紀元前1550年〜前1500年 展示:NAM・登録番号50/L40mm・W34mm(同サイズ多数出土) 現地:ペロポネソス・アルゴス地方 描画:大久保栄次 参考・関連:ミケーネ宮殿遺跡・ライオン門・レリーフ彫刻 ![]() 遺跡:ミケーネ宮殿遺跡・ライオン門 ・リンテル石上部=頭部欠損、向き合う二頭のメスライオンのレリーフ彫刻 ・メスライオン高さ=約90cm ・頭部オリジナル=“金属”製(青銅?)現在 存在しない 年代:LHIIIB 期・紀元前 1250 年頃 現地:ペロポネソス・アルゴス地方 撮影:1996年 VII-14 銀製浅カップ 金表装 円形墳墓・竪穴V墓から、リングハンドル〜口縁部が金表装された銀製の浅カップが見つかっている。平坦な口縁部の金表装では内側縁に沿って微細点描が、外側には連鎖する渦巻き線、または木の葉紋様で埋め尽くされている。 リングハンドルの金表装では、中心線に沿って点描が、その脇をやはり連鎖する渦巻き線、または木の葉紋様で装飾されている。このカップの器体は銀製でありながら、二種類の金属特有の光沢のコントラスト効果を狙ったのか、装飾の金と地味な色彩の銀との絶妙なコラボレーションを活かした上質宝飾品の一つと言えるだろう。 ![]() 出土遺跡:ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・竪穴V墓 表現:銀製の浅カップ/リングハンドル〜口縁部=金装飾・連鎖する渦巻き線(or木の葉)紋様・点描 年代:LHI期・紀元前1550年頃 展示:NAM・登録番号786-787 現地:ペロポネソス・アルゴス地方 描画:大久保栄次 VIII-04 カーネリアン・ビーズのネックレース ![]() 出土遺跡:ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・竪穴II墓 表現:カーネリアン・ビーズのネックレース 年代:MHIII期・紀元前1600年〜前1550年 展示:NAM・登録番号110 現地:ペロポネソス・アルゴス地方 描画:大久保栄次 VIII-23 青銅製ヘアピン 金製水入れ形容・ラスピラズリ象嵌 ![]() 出土遺跡:ネストル宮殿遺跡・宮殿区域 表現:青銅製ヘアピン/金製トップ=水入れ容器の形容・ラピスラズリ象嵌 年代:LHIIIA期・紀元前1400年〜前1300年 展示:NAM・登録番号7776/長さL45mm 現地:ペロポネソス・メッセニア地方 描画:大久保栄次 ネストル宮殿遺跡・宮殿区画から出土した青銅製のヘアピンは、トップが金装飾、浅い溝には半貴石ラピスラズリが七宝技法で象嵌されていた。 先ず金製のトップ部分を製作&溝加工、七宝材料としてラピスラズリ粉末&ガラスペースト材を混練り、溝スペースに詰め込み成形、金の融解温度1,064℃より低い700℃以上の高温度で焼成して完成させたと推測できる。残留部分はわずか長さ45mmほどだが、オリジナルは相当に美しい作品であったであろう。 VIII-32 アラバスター製リュトン杯 金表装 ![]() 出土遺跡:ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・竪穴V墓 表現:アラバスター製のリュトン杯 オリジナル容器=エジプト産/仕様変更⇒口縁部&ハンドル=金表装 年代:LHI期・紀元前1550年頃 展示:NAM・登録番号829/高さH170mm 現地:ペロポネソス・アルゴス地方 描画:大久保栄次 円形墳墓・竪穴V墓から出土したアラバスター製のリュトン杯、注ぎ口は欠損、口縁部〜左右のハンドルは金表装が施され、このリュトン杯は非常に格式が高い装飾容器であることを主張している。元々、ミケーネ文明では石製品の生産は「苦手」な分野であり、研究者は材質と形状からオリジナル容器はエジプトからの輸入品であり、後にミケーネ宮殿の工房職人が口縁部とハンドルの金表装の仕様変更を行ったと考えている。 ただ、失われた注ぎ口が金表装であったかどうかは分からない。リュトン杯は卵型、たいへんと安定した形状の装飾品であり、アラバスター特有の乳白色と金表装が完璧なコラボレーション効果を発揮、視覚的にも美しい姿をつくりだしている。 ---------- ![]() |
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