大久保栄次著 印刷書籍・電子書籍 エーゲ海ミノア文明・ミケーネ文明の遺産 遺跡と出土品詳細データ |
ミノア文明 クノッソス宮殿遺跡 第1巻 |
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・サブタイトル: ミノア文明の遺跡&考古学博物館を旅する ・表記: 日本語 ・形式: e-book/Webダウンロード ⇒ PC・タブレット端末・スマートフォン ・サイズ: 455ページ(kindle画面相当) 容量411Mb ・販売: Amazonネットワーク/Amazon.co.jp |
内容概要: 本電子書籍は日本語表記、ギリシア先史・ミノア文明Minoan civilizationの解説書です。ミノア文明の最大センターであったクレタ島・「クノッソス宮殿遺跡Knossos Palace」を徹底的に詳細解説しています。 現在、「立入禁止区域」となっている宮殿の内部区画の未公開写真や遺構図面も含め、クノッソス宮殿遺跡の全ての区画遺構の詳細解説を行うと同時に、各区画で発掘された重要な出土品のほとんどを精密イラスト画、一部を写真で解説しています。 出土品では、ミノア文明最大級の出土品展示を誇るイラクリオン考古学博物館Heraklion Archaeological Museumを中心に、クレタ島のほかの博物館、およびギリシア本土・国立アテネ考古学博物館National Archaeological Museum of Athensなどで公開されている無数の展示品の中から、特徴ある重要な出土品をピックアップ、美術モチーフ・流行・系譜などを連動的に探究・比較することで、「ヨーロッパ最初の文明」とされるミノア文明を広範囲で立体的・具体的に分かりやすく解き明かします。 内容ボリュームの都合上、「第1巻」と「第2巻」、二部構成となっています。 ミノア文明 クノッソス宮殿遺跡 第1巻 I ミノア文明&宮殿の概要 II 宮殿周辺〜西中庭〜南翼部 III 中央中庭〜王座の間コンプレックス IV 西翼部・聖域 V 西翼部・西貯蔵庫群&線文字B粘土板 VI 西翼部・フレスコ画《女神パリジェンヌ》 ミノア文明 クノッソス宮殿遺跡 第2巻 VII 東翼部・王の居室コンプレックス&両刃斧の聖所 VIII 東翼部・王妃の間コンプレックス IX 東翼部・フレスコ画《雄牛跳び》 X 北翼部〜東翼部・フレスコ画《青の婦人達》 XI クノッソス宮殿遺跡 周辺の先史遺跡 |
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サンプル・ページ:(抜粋) ---------- ![]() 遺跡:クノッソス宮殿遺跡・西翼部・王座の間コンプレックスThrone Room Complex ・左=中央大階段Central Staircase ・右=控えの間Waiting Room〜王座の間Throne Room(壁面=復元) ・手前=中央中庭Central Court ・二階=フレスコ画の部屋Room of the Fresco(復元) ・三階(復元) 年代:MMIII期〜LMIIIA1期・紀元前1625年〜前1375年 現地:クレタ島・中央北部/イラクリオン市街地〜南南東5km 描画:(1982年時点)大久保栄次 GPS:35°17'53''N 25°09'47''E/標高95m ミノア王の執務室・「王座の間」 西翼部一階、控えの間の奥(西側)に配置されたミノア王の執務室、王座の間Throne Roomは、予想に反して決して大きな部屋ではない。石膏石で舗装された王座の間では、東側(控えの間側)を除いて、北〜西〜南側の壁面に沿って部屋を3/4周するように石膏石製のベンチが設けられ、北側には3,400年以上前にミノアの歴代の王が実際に座っていた石製王座が南向きに据えられている。 125年前、エヴァンズの発掘ミッションでは、王座の間付近の発掘時の地表面は、王座の背もたれ上端より約50cm上方であった。そして紀元前1375年頃、大火災によるクノッソス宮殿の最終崩壊で焼け焦げた石製ベンチは、ミノア時代のまま地中に残存、部屋の壁面は崩壊状態であった、とされる。 ![]() 遺跡:クノッソス宮殿遺跡・西翼部・王座の間コンプレックス・プラン図 参考情報:Cambridge U. (UK) Online-data 現地:クレタ島・中央北部 作図:大久保栄次 王座を挟んで向かい合う想像上の動物であるグリフィンGriffinやパピルスPapyrusなど、和色で言えば緋色〜茜色を基調とする西〜北側のフレスコ画の装飾は、1913年と1930年、エヴァンズとスイス人の考古学美術家エミール・ジリエロンにより、コンクリート壁面に復元されたものである。 ![]() 遺跡:クノッソス宮殿遺跡・西翼部・王座の間Throne Room (現在 立入禁止区域) ・火炎跡の石膏石製王座&石膏石製ベンチ&石膏石床面=ミノア文明の遺構 ・王座=地中海域で「最古の王座」 ・王座の間の北〜西〜南側に設置された石製ベンチに座れる人数=16人分 ・王座を挟む北側ベンチ=宮殿最高位の官僚達が座る ・王座の両脇 グリフィン鎮座のフレスコ画の壁面=サー・アーサー・エヴァンズとスイス人考古学美術家エミール・ジリエロンによりコンクリート復元(1913年&1930年) ・王座の前=ミノア文明の大型石製水盤は置かれていない 年代:MMIII期〜LMIIIA1期・紀元前1625年〜前1375年 現地:クレタ島・中央北部 撮影:1982年 専有面積は決して広いとは言えないが、王座の間の全体イメージでは、先史時代の東地中海域で最も繁栄したミノアの王国、その最高統治者たる王の執務室としての神秘性と権力の威厳さを感じることができる。 そして、王座の間を実際に見た人には、重みのある格式と畏敬の念を覚える王の執務室である西翼部・王座の間と、東翼部・王家のプライベート生活区画にある寛ぎの王の居室・両刃斧の間King’s Room/Double Axe Roomとを比べる時、それぞれの部屋の明確な「役割」がはっきりと分かるであろう。 ![]() 遺跡:クノッソス宮殿遺跡・東翼部・両刃斧の間Double Axe Room (現在 立入禁止区域) ・壁面&渦巻き線フレスコ画=発掘時の状態 ・木製王座=複製品 年代:MMIIIA期〜LMIIIA1期・紀元前1625年〜前1375年 現地:クレタ島・中央北部 撮影:1982年 UNESCO 世界遺産に登録されていないが、今日、クノッソス宮殿遺跡への見学ツーリストが激増、王座の間を「一目見たい!」と憧憬する人達の順番待ちができ、連日、控えの間〜中央中庭まで延びる長蛇の列など、ごった返すほどの人・人・・・ 混雑過ぎることから、クノッソス宮殿遺跡の色々と課題の多い観光事情が表面化している。 王座の間では、カメラシャッターを素早く数回ONする程度、「見学時間1人=1分間」という現実を見るまでもなく正直に言えば、時間をかけて王の執務室をじっくりと覗き、想いを3,500年前のミノアの時代へ浮遊させるとする、心に余裕をもったツーリストの切なる希望が叶うことは相当に難しい状況である。 宮殿の聖なる宝庫 であった「神殿宝庫」 聖域・石製ベンチの控え室の北側の位置、控え室の北西端の石製ベンチの左側ドアー口から北方へ入ると、石膏石で舗装された二つの小さな部屋がある。 この場所こそが、クノッソス宮殿を、あるいは過激に言ってしまえば、ミノア文明を象徴するに値するリュトン杯など、無数の宗教関連用品と宝飾品が眠っていたクノッソス宮殿の「聖なる宝庫」の区画である。 ![]() 遺跡:クノッソス宮殿遺跡・西翼部・聖域(現在 立入禁止区域) ・一階レベル・プラン図 現地:クレタ島・中央北部 作図:大久保栄次 神殿宝庫の構造 かつて先史ミノア文明では、「王=神」と崇められ、王の住む「宮殿」は「神の住む神殿Temple」と同じ意味を成したことから、発掘者エヴァンズを初め考古学の研究者から、「宮殿の宝庫Palace Repositories」は「神殿の宝庫Temple Repositories」と呼ばれてきた。 石製ベンチの控え室の北側に配置された奥の部屋がクノッソス宮殿の宝飾品の保管庫であり、研究者に神殿宝庫と呼ばれる場所である。 ![]() 遺跡:クノッソス宮殿遺跡・西翼部・神殿宝庫(現在 立入禁止区域) ・奥側=西側の深い大型収納ピット ・中間=後世の浅い小型収納ピット ・手前=東側の深い大型収納ピット 年代:MMIIIA期〜LMIIIA1期・紀元前1625年〜前1375年 クレタ島・中央北部 撮影:1982年 神殿宝庫には東西に少し離れて二か所、方形の深い大きな地中収納ピットがあり、その壁面は厚い石膏石の平板が四段に積み重ねられ、石膏石板を敷き詰めた構造の底部と組み合わせ、堅固な箱状に形容されている。 収納ピットの大きさの詳細は、中央中庭側の東ピットが東西幅190cm、南北幅143cm、深さ152cm、そして貯蔵庫群の長い通廊側の西ピットは東西幅176cm、南北幅137cm、深さ150cmである。 容積では、東ピットの方がわずかに大きく、発掘の結果として東ピットの方が西側より出土した宝飾品の点数も多く内容も豪華であった。この事実から、エヴァンズを初め多くの研究者は、東ピットはその東隣の三分割聖所と深化の関わりがあった、と判断している。 ![]() 遺跡:クノッソス宮殿遺跡・西翼部・神殿宝庫 ・収納ピット・構造図(単位cm) 現地:クレタ島・中央北部 作図:大久保栄次 ファイアンス陶器《ヘビの女神像Snake Goddess》とは? 聖域・神殿宝庫から出土したファイアンス陶器《ヘビの女神像》は、上半身の欠けた一体を含め、同じ製作様式の合計三体が、厳密に言えば、宝庫の東側の収納ピットの中から見つかった。一部の研究者は、出土したファイアンス像は「女神の母と娘」を表している、と判断している。両刃斧と同じ、《ヘビの女神》はミノアの人々から絶対的に崇拝されていた、言わばミノア文明の最高崇拝シンボルの一つでもあった。 「娘女神」とされる両手を上方へ広げた高さ295mmの像、両手にヘビを持った細身の《ヘビの女神像》の豊かな胸は、コルセット風の引き締まった衣装から完全にはみ出している。娘女神の頭上には、レパード(ヒョウ)か、メスライオンか、ネコ科の動物が佇んでいる。ミノア文明ではグリフィンと並んで、ネコ科のメスライオンも女神の守護の役目を果たす聖なる動物と信じられていた。 また、両手をやや広めに下げた高さ342mmの「母女神」とされる大きい女神像は、両腕にヘビを巻きつけている。ミノアの時代からヘビは神の使いであり、特に女神との関わりが強調されて来た。 ファイアンス陶器《ヘビの女神像》は、その製作技術と表現のもつ意味からして、「旧宮殿時代」が終わり、大繁栄の「花ほとばしる新宮殿時代」がスタートした時期、中期ミノア文明MMIIB期〜MMIIIA期・紀元前1625年頃の「最高傑作のミノア美術品Minoan Masterpiece Art」と言える。 ![]() 出土遺跡:クノッソス宮殿遺跡・西翼部・聖域・神殿宝庫 表現:ファイアンス陶器 《ヘビの女神像Snake Goddesses》 年代:MMIIIA期・紀元前1625年頃 展示:HAM ・左母女神像=登録番号63/高さ342mm ・右娘女神像=登録番号65/高さ295mm 現地:クレタ島・中央北部 撮影:1994年 西貯蔵庫群に残るピトス容器&アンフォラ型容器 ![]() 遺跡:クノッソス宮殿遺跡・西翼部・西貯蔵庫群・プラン図 (現在 立入禁止区域) 現地:クレタ島・中央北部 作図:大久保栄次 宮殿の中央中庭の西側、西翼部に配置された「政治・行政」の王座の間、「宗教と精神文化」の聖域と並び、西貯蔵庫群は王国の「経済・財務」を担う部門であり、王国運営の「三点セット」の一つとして非常に重要な役割を担っていた。 このため、直轄管理の西貯蔵庫群へのアクセスは宮殿の限られた人だけが許され、ほとんどの貯蔵庫へは王座の間コンプレックスと聖域から直接連絡できる限定通路が設けられていた。 「他かが倉庫ではないか」の、単純で軽い認識は明らかに間違いで、ミノア宮殿の西貯蔵庫群は、現代で言えば国家財政に直結する「財務省&国税庁&経済産業省」に相当する極めて重要な部門であった。 ![]() 遺跡:クノッソス宮殿遺跡・西翼部・西貯蔵庫群 (現在 立入禁止区域) 状態:貯蔵庫・第5号室〜第6号室、残されているピトス容器 年代:MMIIIA期〜LMIIIA1期・紀元前1625年〜前1375年 現地:クレタ島・中央北部 撮影:1982年 宮殿が直轄管理を行った西貯蔵庫群には、王国への租税(税金)として物納された大麦・小麦や豆類など乾燥した穀物類、そして中型〜大型のピトス容器やアンフォラ型容器には大量のオリーブ油が保管された。 クノッソス宮殿遺跡から出土したピトス容器では、アンフォラ型容器に近似する小型〜中型サイズが標準だが、大型サイズでは内容量約190リットル(50ガロン級)、要するに通常のドラム缶と同じ容量の陶器容器も製作され、主に西翼部の西貯蔵庫群のほか、東翼部の東貯蔵庫群East Storerooms&北東貯蔵庫群Northeast Storeroomsで使われた。 ![]() 遺跡:クノッソス宮殿遺跡・西翼部・西貯蔵庫群の長い通廊 (現在 立入禁止区域) ・(南〜北方への視野)貯蔵庫・第4号室入口〜第16号室を見る ・床面保護板カバー=地中収納ピット ・左側床面=両刃斧用のピラミット形容の石製角錐台が残る 年代:MMIIIA期〜LMIIIA1期・紀元前1625年〜前1375年 現地:クレタ島・中央北部 撮影:1994年 宮殿の正規の参道 ローヤルロード Royal Road 遠いミノアの時代、遠来のクノッソス宮殿への来訪者は、ローヤルロードRoyal Road と呼ばれる正規の参道を歩み、宮殿の西翼部・北東端から階段を上がり、二階に配置された西入口West Gateへ案内された。クノッソス宮殿には厳めしい城門はなく、宮殿内部へは「入口Gate」から入る。 ローヤルロードは今日の見学入口ゲート近く、地方道路(Knossos=メッサラ平野Karakas)の東側、宮殿の北西方向から始まる切り通し的な石組みと盛り上がりの石板歩道、現在、ツーリストの立入禁止区域となったが、長さ約140mが堂々と残されている。 ![]() 遺跡:クノッソス宮殿遺跡・宮殿への参道・ローヤルロード ・劇場区域〜西方を見る(現在 立入禁止区域) ・石組み・石板舗装・盛り上がり歩道 現地:クレタ島・中央北部 描画:大久保栄次 劇場区域 Theater Area で「歓迎の舞」が行われたか? クノッソス宮殿の正規の参道であるローヤルロードRoyal Roadの突き当たり(東端)は、なだらかな斜面と言える段差のない階段で構成された、東西約30m規模、劇場区域Theater Areaと呼ばれる区画で終わっている。「劇場区域」という言葉から連想されることで、多くのツーリストはこの場所でイベント的な演劇が行われたと想像している。また「そうである」と説明する観光ガイドさえも居る。 しかし、この想定は間違っている、と私は主張したい。もしミノア時代に演劇やイベントが行われたのであれば、その場所は、間違いなく、クノッソスの街・コノソko-no-so の沢山の民衆が鑑賞参加できる宮殿中心部の広い中央中庭であったはずである。 故に正規の宮殿入口であるローヤルロードの延長部を成す劇場区域では、明らかに高貴な公式訪問者への歓迎度を示すために、おそらくは10人〜20人程度の美しき衣装のミノア女性達、あるいは巫女達による優美な「歓迎の舞Welcome Dancing」が披露され、または王族など尊貴な人物が宮殿を代表して高貴な来訪者を最初に「出迎える場所」であった、と私は想定している。 ![]() 遺跡:クノッソス宮殿遺跡・劇場区域Theater Area 状態:ローヤルロードの東端・緩傾斜の階段区画 ・高貴な訪問者のために「歓迎の舞」が演じられたor 「出迎えの場所」 現地:クレタ島・中央北部 撮影:1982年 南の邸宅House of the South エヴァンズの発掘では、宮殿の南西翼部の南側、少し低い場所に残る南の邸宅Houth of the Southからは、渦巻き線&太い横帯線デザイン、器形がヴァシリキ様式Vasiliki Styleに近似する水差しを含め、色々な出土品がもたらされた。 そのほかでは南の邸宅からは、「新宮殿時代」の最盛期に属する石製の印章が出土した。一つは滑石・ステアタイト製の円形レンズ型の印章、横15mm〜16.5mmの印面、振り向き姿勢のグリフィンが刻まれている。 もう一つの印章は金製リングタイプ、素材には濃紺色の宝石ラピスラズリが使われ、印面は横18mm〜19mmの円盤型、大きなライオンと調教師が刻まれている。二つの印章の製作は後期ミノア文明LMIA期〜LMIB期・紀元前1550年〜前1450年と推定された。 ![]() 出土遺跡:ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・南の邸宅House of the South 表現:金装飾・ラピスラズリ製の印章リング/黄金の造粒技術・ライオン&調教師 年代:LMIB期・紀元前1500年〜前1450年 展示:HAM・登録番号839/横L19mm 現地:クレタ島・中央北部 描画:大久保栄次 ![]() 遺跡:クノッソス宮殿遺跡・南の邸宅House of the South 状態:床面や基礎部以外は復元・複製 現地:クレタ島・中央北部 撮影:1982 ---------- ![]() |
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