ミノア文明 電子書籍

著者:大久保栄次
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大久保栄次著 印刷書籍・電子書籍
エーゲ海ミノア文明・ミケーネ文明の遺産 遺跡と出土品詳細データ

ミノア文明 クノッソス宮殿遺跡 第2巻
ミノア文明 クノッソス宮殿遺跡 第2巻

・サブタイトル: ミノア文明の遺跡&考古学博物館を旅する
・表記: 日本語
・形式: e-book/Webダウンロード ⇒ PC・タブレット端末・スマートフォン
・サイズ: 601ページ(kindle画面相当) 容量640Mb
・販売: Amazonネットワーク/Amazon.co.jp

内容概要

 本電子書籍は日本語表記、ギリシア先史・ミノア文明Minoan civilizationの解説書です。ミノア文明の最大センターであったクレタ島・「クノッソス宮殿遺跡Knossos Palace」を徹底的に詳細解説しています。

 現在、「立入禁止区域」となっている宮殿の内部区画の未公開写真や遺構図面も含め、クノッソス宮殿遺跡の全ての区画遺構の詳細解説を行うと同時に、各区画で発掘された重要な出土品のほとんどを精密イラスト画、一部を写真で解説しています。

 出土品では、ミノア文明最大級の出土品展示を誇るイラクリオン考古学博物館Heraklion Archaeological Museumを中心に、クレタ島のほかの博物館、およびギリシア本土・国立アテネ考古学博物館National Archaeological Museum of Athensなどで公開されている無数の展示品の中から、特徴ある重要な出土品をピックアップ、美術モチーフ・流行・系譜などを連動的に探究・比較することで、「ヨーロッパ最初の文明」とされるミノア文明を広範囲で立体的・具体的に分かりやすく解き明かします。


内容ボリュームの都合上、「第1巻」と「第2巻」、二部構成となっています。

ミノア文明 クノッソス宮殿遺跡 第1巻

I ミノア文明&宮殿の概要
II 宮殿周辺~西中庭~南翼部
III 中央中庭~王座の間コンプレックス
IV 西翼部・聖域
V 西翼部・西貯蔵庫群&線文字B粘土板
VI 西翼部・フレスコ画《女神パリジェンヌ》

ミノア文明 クノッソス宮殿遺跡 第2巻

VII 東翼部・王の居室コンプレックス&両刃斧の聖所
VIII 東翼部・王妃の間コンプレックス
IX 東翼部・フレスコ画《雄牛跳び》
X 北翼部~東翼部・フレスコ画《青の婦人達》
XI クノッソス宮殿遺跡 周辺の先史遺跡

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サンプル・ページ(抜粋)
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                     東翼部・列柱の間(柱廊の間)

朱色円柱と吹き抜け構造の美しい広間・列柱の間

 クノッソス宮殿の東翼部には、王家のプライベート生活区画の西側に隣接して列柱の間Pillar Hall/柱廊の間と呼ばれる朱色の円柱と階段で構成された、吹抜け構造のたいへんと美しい区画がある。列柱の間は決して広い部屋&空間ではないが、構造的には非常に複雑でありながら、建築学的には安定感ある調和の取れた区画である。

 かつて、中期ミノア文明MMIIB期の終わり頃、3,650年ほど前の地震で破壊された旧宮殿の敷地を利用する形で、ミノアのエンジニア達はクノッソスの新宮殿を設計したであろう。
 石積み建造物特有の構造力学は当然の事、美的な空間演出という点からも、時間をかけて熟考した後、紀元前1625年頃、彼らが最も力を注いで建築した新宮殿のセクションの一つがこの列柱の間であった、と言えるほどにこの区画は見事な構造を示している。


               ミノア文明 クノッソス宮殿遺跡・東翼部・列柱の間Pillar Hall

遺跡:クノッソス宮殿遺跡・東翼部・列柱の間Pillar Hall
・石膏石舗装の一階~二階を見上げる(階下=現在 立入禁止区域)
・二階=フレスコ画 聖なる「8の字形」の盾装飾
・床面&基礎部・石段以外=サー・アーサー・エヴァンズによる復元(1900年)
年代:MMIIIA期~LMIIIA1期・紀元前1625年~前1375年
現地:クレタ島・中央北部
撮影:1982年


列柱の間の二階・「バルコニー風の部屋」

 王の居室コンプレックスの西隣の吹抜け構造の美しい空間、列柱の間の二階、バルコニー風の部屋の壁面は、渦巻き線紋様の横帯と二枚貝が開いた、形容の聖なる「8の字形」の大型盾をアレンジしたフレスコ画で装飾されていた。この渦巻き線紋様の装飾は、例えば王の居室や王妃の間を含め、ミノア宮殿の高貴な部屋の「定番」とも言える上質な壁面装飾である。


          ミノア文明 クノッソス宮殿遺跡・列柱の間・二階バルコニー風の部屋 フレスコ画「8の字」盾絵柄

出土遺跡:クノッソス宮殿遺跡・列柱の間・二階バルコニー風の部屋
表現:フレスコ画・典型的なミノア美術モチーフ=渦巻き線&「8の字形」の盾
年代:MMIIIA期~LMIIIA1期・紀元前1625年~前1375年
展示:HAM
現地:クレタ島・中央北部
撮影:1996年


 現在、ミノア時代の本物のフレスコ画断片は、イラクリオン考古学博物館HAMで展示されている。一方、東翼部二階の復元されたバルコニー風の部屋の南壁面には、ツーリストに見せるために現代の化学塗料を使った渦巻き線紋様と「8の字形」の大型の複製フレスコ画が描かれている。

 なお、渦巻き線&「8の字形」の盾紋様の装飾では、ギリシア本土のミケーネ宮殿遺跡から出土したフレスコ画が、クノッソス宮殿遺跡・列柱の間・二階のフレスコ画とサイズや紋様が同様である。ただ、ミケーネ宮殿のフレスコ画は、紀元前14世紀~前13世紀の製作であり、クノッソス宮殿のフレスコ画の方が一世紀以上早い作品となる。


            ミケーネ文明・ミケーネ宮殿遺跡・宮殿区域・ツーンタスの邸宅House of Tsountas フレスコ画 「8の字」絵柄

出土遺跡:ミケーネ文明・ミケーネ宮殿遺跡・宮殿区域・ツーンタスの邸宅House of Tsountas
表現:フレスコ画 聖なる「8の字形」の盾&渦巻き線の紋様
年代:LHIIIA2期~LHIIIB1期・紀元前1375年~前1250年
展示:NAM・登録番号14163
現地:ペロポネソス・アルゴス地方
描画:大久保栄次


「立入禁止区域」に指定された列柱の間

 列柱の間は一階部分を除き、残念ながら上階の建物の部分や、大型円柱とその朱色と黒色の塗装、開いた二枚貝をモチーフにした「8の字形」の大型の盾紋様のフレスコ画などは、すべてエヴァンズにより復元・複製されたものである。さらに残念なことに、中央中庭から優雅にターンして階段を下る複雑構造の列柱の間の階下区画は、現在、ツーリストの立入禁止区域となってしまった。

 このため石膏石板が敷き詰められた一階の正方形の床面から、天井を支えるリズムカルな配置の円柱群、上階への吹抜け構造の壮麗さ、感動にも値する美しい光のコントラストなどを体感する見学ツーリストの、「ウワ~、きれい~~!」という感嘆の声が響くことはない。

 列柱の間に関しては、コンクリート復元の見学ステージの上階(三階)から見下ろしていたのでは、複雑な造りの階段&吹抜け構造の本当の美しさ、復元したエヴァンズ自身も感嘆した「美の空間」を実感することはできない。明るい吹抜け構造の列柱の間では、階下から上階を見上げてこそ、見学者は圧倒されるミノア建築仕様の卓越した機能美を体感できるのであるが・・・

 列柱の間の複雑にして均整の取れた見事な構造は、発掘者エヴァンズも認めた「ミノア建築の最高峰」と言えるスポットである。故にクノッソス宮殿の中で、《女神パリジェンヌ》を含む《キャンプスツールのフレスコ画》が描かれていた西翼部二階の聖なる北西儀式広間Northwest Sanctuary Hallと並んで、ミノアの「花ほとばしる新宮殿時代Minoan New Palace Era with dancing Flowers」、この東翼部・列柱の間は、クノッソス宮殿が誇る自慢の区画の一つであったと想像する。

 ただ、今日、おびただしい数の見学ツーリストに対応、「外観を見せて 内部を見せない」の遺跡保護を優先する管理当局が、120年前の復元構造の強度の劣化と安全性を考慮した結果なのか、列柱の間も立入禁止区域に指定してしまったことはたいへんと残念である。


          ミノア文明 クノッソス宮殿遺跡・東翼部・列柱の間

遺跡:クノッソス宮殿遺跡・東翼部・列柱の間(現在 立入禁止区域)
・最下床面・円柱の林立・階段最下部
・中央明るい箇所=採光吹抜けの空間
年代:MMMIA期~LMIIIA1期・紀元前1625年~前1375年
現地:クレタ島・中央北部
撮影:1982年


参考・関連:1980年代 列柱の間(柱廊の間)での居眠り

 現在、ツーリストの立入禁止区域となっているが、1980年代には中央中庭脇から朱色の円柱が林立する列柱の間の優雅に折り返しターンする階段を二回り下り、吹抜け構造の石膏石舗装の最下部一階へ降りることができた。
 さらに列柱の間の最下空間から東側ドアー口を抜け、通路を右折して王の居室コンプレックス・両刃斧の間Room of Double Axeへ進み、王座の正面にある南側ドアー口から、狭い石板舗装の「直角曲がり」の暗い通路を通過すれば、王妃の間Queen’s Roomコンプレックスへ直接通じていた。
 また列柱の間の南側ドアー口を抜け、業務用階段の遺構・「デーモン印章の区画Daemon Seal Area」と「直角曲がり」の通路を経て、王妃の化粧室&水洗トイレFlushing Toilet、さらに王妃のバスルームBathroomへ自由に進むこともできた。

 クレタ島の真夏の時期、空気は乾燥しているが直射の屋外は非常に暑い。しかし複雑な地下室のような構造の列柱の間はたいへんと涼しいこともあって、著者も含め見学に疲れたヨーロッパからの学生や若者達や高齢ツーリストが、この列柱の間の区画でしばしの小休止を取り、時折、床面や階段に座って居眠りをする風景があった。
 1980年代の居眠りツーリストがそこで見る「夢」は、宮殿・西翼部の王座の間や上階の大広間で執り行われた午前の儀式や遠来の賓客との謁見を終えたミノア王が、昼下がり、お付きと共に中央中庭を横切り、この列柱の間の美しい階段を下り、すでにランチの席に着いた王妃や子供達が待つ王家のプライベート生活区画へ向かうシーンであった・・・


                      フレスコ画 《雄牛跳び》

フレスコ画 《雄牛跳び》は何処から出土したのか?

 雄牛跳び(牛飛びor牛跳び)とは、現代で言えば全員集合のお祭り的な大きなイベント開催の時に行われた、おそらくスペインの闘牛に似た見世物やスポーツ、あるいは幾分神聖な儀式の一つであった、と考えられる。
 この予想を前提とするならば、雄牛跳びは勇気あるミノアの若者達が暴れる雄牛の角につかまったり、背にまたがったり、動き回る雄牛の背上で逆立ちしたりするなど、非常にアクティブな行為であったであろう。

 ミノア文明の特徴的とも言える雄牛跳びでは、象牙製のほかにクノッソス宮殿遺跡・東翼部からは、保存状態の良好なフレスコ画 《雄牛跳び》が出土している。フレスコ画の製作時期は、後期ミノア文明LMI期・紀元前1500年頃とされる。


          ミノア文明 クノッソス宮殿遺跡・東翼部・機織り重りの階下Loom Weight Basement フレスコ画 「雄牛跳び」

出土遺跡:クノッソス宮殿遺跡・東翼部・機織り重りの階下Loom Weight Basement
表現:フレスコ画 《雄牛跳びBull leaping》を最も詳細に描写した最高作品
年代:LMI期・紀元前1500年頃
展示:HAM・登録番号T-15/高さ78cm
現地:クレタ島・中央北部
撮影:1994年


 現代的にはやや危険過ぎるような行為、クレタ島内で発見されている多くの石製の印章や容器のデフォルメ絵柄、彫刻品などの表現を除き、比較的大きなサイズで「雄牛の背上を跳ぶ」という同様なシーンを描いた、ほかのフレスコ画や陶器の詳細絵柄のサンプルは乏しい。この理由から、ミノア時代に雄牛跳びが「どのような状況」で行われていたのかなど、未だに不明な点も多い。

 ミノア文明の特徴的、重要な伝統的なイベント行事、または奉納儀式であったと推測できる雄牛跳びを描写した素晴らしいフレスコ画 《雄牛跳びBull leaping》が、東翼部・「機織り重りの階下Loom Weight Basement」から出土している。高さ約78cm、残存するフレスコ画 《雄牛跳び》は、決して大型の壁画ではない。

 雄牛の背上を跳ぶという危険な動作と言える雄牛跳びこそが、美術表現として長い間ミノア人に愛された最高のモチーフであり、フレスコ画以外にも無数の石製の印章&粘土印影、容器の絵柄、あるいは彫刻品などに表現された。


出土品・フレスコ画 《青の婦人達 Ladies in Blue》

 ミノア文明の出土品展示の最高峰、イラクリオン考古学博物館 HAM の「至宝」の一つでもある、美しくドレスアップした三人のミノア女性を描いたフレスコ画 《青の婦人達Ladies in Blue》は、東翼部・「機織り重りの階下」の区画の一部、東貯蔵庫群の北側の通路付近で見つかった。


          ミノア文明 クノッソス宮殿遺跡・東翼部・機織り重りの階下Loom Weight Basement

遺跡:クノッソス宮殿遺跡・東翼部・機織り重りの階下Loom Weight Basement
・東貯蔵庫群 周辺
・フレスコ画 《雄牛跳び》、フレスコ画 《青の婦人達》
・ファイアンス製品 《タウン・モザイク》
・「王家のゲーム盤」など出土
年代:(大部分)新宮殿時代の遺構/(部分的)旧宮殿時代の遺構
・新宮殿=MMIIIA期~LMIIIA1期・紀元前1625年~前1375年
・旧宮殿=MMIB期~LMIIIA1期・紀元前1900年~前1375年
現地:クレタ島・中央北部
撮影:1994年


 華やかな髪飾りを付けたカールするロングヘア、細い眉毛、凛々しくも淑やかな顔形、エジプト・アレキサンドリアから直輸入された流行の豪華なネックレースとブレスレット、余りに大きなバストとミノア織りの斬新デザインの衣装・・・

 「花ほとばしる新宮殿時代」の初期、中期ミノア文明MMIII期・紀元前1650年~前1550年の作品とされるこの美しいフレスコ画 《青の婦人達》は、当然の事、東翼部・上階(二階)にあった広間、または三階にあったとされる聖なる東大広間East Great Hallの壁面を飾っていた、クノッソス宮殿が誇る第一級のフレスコ画であった。

 研究者から、クノッソス宮殿は「美しいフレスコ画の宮殿」と比喩される中、この《青の婦人達》はその連想の答えを真っ先に示すほどの、群を抜くミノアの魅惑のフレスコ画と言えるだろう。《雄牛跳び》を初め、一階レベルの「機織り重りの階下」で大量に見つかっているほかのフレスコ画と同様、この美しいフレスコ画 《青の婦人達》もクノッソス宮殿が大火災により最終崩壊する時、紀元前1375年頃、上階から崩落したものである。


          ミノア文明 クノッソス宮殿遺跡・東翼部・機織り重りの階下Loom Weight Basement フレスコ画 「青の婦人達」

出土遺跡:クノッソス宮殿遺跡・東翼部・機織り重りの階下Loom Weight Basement
表現:フレスコ画 《青の婦人達Ladies in Blue》
年代:MMIIIA期~LMIA期・紀元前1625年~前1500年
展示:HAM/スイス人考古学美術家Émile Gilliéron修復・復元
現地:クレタ島・中央北部
撮影:1994年


 ミノア文明の美しい女性を描いたフレスコ画では、クレタ島北海岸のプッシーラ島Pseiraの居住地遺跡・神殿遺構で見つかったフレスコ画 《ミノアの王女Minoan Princess or女神Goddess》がある。他に類を見ないミノア織りの複雑な紋様の衣装を身に付けた二人の女性を描いた、この引き寄せられるほどに典雅にして非常に魅惑的な浮彫フレスコ画のモデルは、研究者からミノアの「女神」、またはより可能性あるクノッソス宮殿の「王女」であった、と推測されている。

 このフレスコ画の製作時期は、《青の婦人達》より一世紀ほど遅い「花ほとばしる新宮殿時代」の最盛期、紀元前1500年~前1450年と断定されている。3,500年以上前の女性とは思えないほど、楚々とした気品と美しさを放し、「女神」を表す神的な要素がまったくないことから、このフレスコ画のモデルはクノッソス宮殿に住んだ実在の「王女」であったと確信する。


            ミノア文明 プッシーラ遺跡Pseira・神殿遺構 フレスコ画 「ミノアの王女 Minoan Princess」

出土遺跡:プッシーラ遺跡Pseira・神殿遺構
表現:レリーフ(浮彫)フレスコ画 《ミノアの王女Minoan Princess》
年代:LMIB期・紀元前1500年~前1450年
展示:HAM
現地:クレタ島・東部北海岸・エーゲ海沖/アギオス・ニコラオス市街地~東方13km
描画:大久保栄次
GPS:35°11'08''N 25°51'51''E/標高15m
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ミノア文明のクレタ島(クノッソス宮殿遺跡)寄港・「エーゲ海クルージング」