ミノア文明 電子書籍

著者:大久保栄次
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大久保栄次著 印刷書籍・電子書籍
エーゲ海ミノア文明・ミケーネ文明の遺産 遺跡と出土品詳細データ

ミノア文明 主要出土品440点 第1巻
ミノア文明 主要出土品440点 第1巻

・サブタイトル: 精密イラスト画による出土品からエーゲ海先史文明を旅する
・表記: 日本語
・形式: e-book/Webダウンロード ⇒ PC・タブレット端末・スマートフォン
・サイズ: 423ページ(kindle画面相当) 容量455Mb
・販売: Amazonネットワーク/Amazon.co.jp

内容概要

 本電子書籍e-bookは日本語表記、エーゲ海の先史ミノア文明遺跡から発掘された出土品の「精密イラスト画&データブック」です。内容ボリュームの都合上、「第1巻」・「第2巻」に分けて発刊しています。
 本電子書籍はミノア文明センターであったクノッソス宮殿遺跡を初め、クレタ島各地のミノア文明遺跡からの主要出土品の内、一際優れた出土品440点をピックアップしています。解説する出土品の70%以上は精密イラスト画で、残りは写真で公開します。
 本電子書籍はクレタ島イラクリオン考古学博物館を初め、首都アテネ国立考古学博物館を含め、各地の考古学博物館で展示公開されている出土品の中から、特に厳選した重要な作品を介して、ミノア文明の「工芸美術の世界」へ誘います。

 なお、内容ボリュームの都合上、本電子書籍は「第1巻」、「第2巻」の二部構成となっています。

第1巻:容量455Mb
I 宝飾品/金・銀・宝石
II フレスコ画
III 陶器/初期〜中期〜後期ミノア文明

第2巻:容量415Mb
IV 印章&粘土印影
V 石製品
VI 線文字A・線文字B・絵文字
VII 青銅品&武器
VIII テラコッタ塑像&陶棺
IX 象牙品
X 農業&漁業

国内・海外 旅行予約/カプセル〜超高級Hotel、航空券+Hotel、航空券

サンプル・ページ(抜粋)
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I-1-02 金製シグネットリング 《イソパタ・リング Gold Isopata Ring》

          ミノア文明 イソパタ遺跡 金製シグネットリング 「Gold Isopata Ring」

出土遺跡:イソパタ遺跡・王家の墳墓・横穴墓1号墓
表現:金製シグネットリング/エピファニー表現:女神・ヘビ・踊る女性達・スミレ花の草原
年代:LMI期・紀元前1550年〜前1450年
展示:HAM・登録番号424/横L26mm
現地:クレタ島・中央北部
描画:大久保栄次


 北方向へ延びる55m以上、非常に長い通路ドロモスを備えたイソパタ遺跡Isopata・王家の墳墓・横穴墓1号墓の前室と埋葬室の側面は、完璧に切石組み施工された堅固な仕様であった。
 正方形の埋葬室の南東側床面に「L字形」に掘削された深さ約1.7mのキスト墓があり、中から女神と二匹のヘビが見守る中、四人のミノア女性達がダンスに興じる情景を描写した、ミノア工芸美術の最高傑作の宝飾品の一つ、素晴らしい金製シグネットリングが出土した。
 ミノア風の厚ぼったいスカート姿の女性達、左側の二人と中央の女性は髪飾りとロングヘアが揺れていることから「若い女性」、右側の女性の髪は結ってあることから三人より少し「年上女性」であろう。四人の周囲にはスミレの花が咲き乱れることから、時期は春の頃、場所はクノッソス宮殿の南方のジプサデスの丘など草原である。
 この金製リングの所有者(被葬者)は、ミノア文明の最も繁栄した平和で豊かな時代、クノッソス宮殿に住んだミノアの王妃、または可憐な王女、高位貴族など尊貴な女性であった。その製作は「花ほとばしる新宮殿時代」の最盛期、後期ミノア文明LMIA期〜LMIB期・紀元前1550年〜前1450年とされている。


I-1-03 金製シグネットリング 《Gold Ring of Princess of Archanes》

          ミノア文明 アルカネス遺跡・トロス式墳墓A 金製シグネットリング 「アルカネス王のリング」

出土遺跡:アルカネス遺跡・フォウルニ共同墓地・トロス式墳墓A
表現:金製シグネットリング/エピファニー表現:女神・聖石・聖所・聖なる樹木・男性
年代:MMIIIB期〜LMIA期・紀元前1600年〜前1500年
展示:HAM・登録番号989/横L26mm
現地:クレタ島・中央北部
描画:大久保栄次


 クノッソス宮殿遺跡〜南方7km、アルカネス遺跡Archanes・フォウルニ共同墓地Fourni、「アルカネスの王女Princess of Archanes」の墳墓とされるトロス式墳墓Aから出土した金製シグネットリングは、横幅26mmの楕円形(オーバル形状)、特徴的なエピファニー表現である。
 印面の中央には特徴的な厚ぼったいスカート姿のミノアの女神が立ち、その右側には三分割聖所と思われる神殿風の建物とカーブして延びる聖なる樹木が生え、神の恩恵を得るためその枝葉に触れようとしているのか、活動的なミノアの若い男性が刻まれている。
 一方、印面の左側には、聖なる石(ビトラスBaetylus)に膝を付き何かを崇拝しているのか、あるいは埋葬用の大型ピトスを抱えるような仕草なのか、やや落胆気味のミノアの男性が居る。そして女神と膝付きの男性の間の空間には二頭(匹)のチョウ、さらにチョウの上部には植物の死と再生(死生観)に関わるエジプト・オシリス柱と思われる微細刻みが確認できる。


アルカネス遺跡・トロス式墳墓A(アルカネスの王女の墳墓)

          ミノア文明 アルカネス遺跡・トロス式墳墓 「アルカネス王女の墳墓」

遺跡:アルカネス遺跡・フォウルニ共同墓地・トロス式墳墓A(アルカネスの王女の墳墓)
状態:長さ18m 通路ドロモス〜入口/トロス部内径4.5m
埋葬床面=半地下式 埋葬副室サイズ=2m四方
トロス部〜通路ドロモス=N90°(東方へ開口)
年代:MMIIIB期〜LMIA期・紀元前1600年〜前1500年
現地:クレタ島・中央北部/クノッソス宮殿遺跡〜南方7km
描画:(1994年)大久保栄次
GPS:35°14'42''N 25°09'32''E/標高430m


I-1-04 金製シグネットリング 《雄牛跳び》

          ミノア文明 アルカネス遺跡 金製シグネットリング 「雄牛跳び」

出土遺跡:アルカネス近郊・横穴墓
表現:金製シグネットリング、逆立ち姿勢のミノア青年の《雄牛跳び》
年代:LMII期〜LMIIIA1期・紀元前1450年〜前1375年
展示:Ashmolean Museum, U. Oxford (UK)・登録番号AN1896-1908-AE2237/横L34mm
※Sir Arthur John Evans寄贈
現地:クレタ島・中央北部
描画:大久保栄次


 クノッソス宮殿遺跡〜南方7km、アルカネス近郊Archanesの横穴墓の発掘では、Sir Arthur John Evansがミノア文明の工芸モチーフの代表格である「雄牛跳び」を写実的に刻んだ、印章タイプの金製リングを見つけている。
 横34mm・縦22mmの楕円形(オーバル形状)の金製シグネットリングは、かつて自身が館長を務めたSir Arthur John Evansが、オクスフォード大学・アシュモレアン博物館Ashmolean Museum, U. Oxford (UK)へ寄贈したものである。
 金製リングのやや凸状の印面には迫力ある雄牛跳びのシーン、短めの巻き毛のミノア青年が疾走する雄牛の背上で逆立ちする姿をインタリオ彫りで表現している。弓なりで腰巻姿の青年の両足は、雄牛の尾を越えて風圧で雄牛の後方へ延び、右腕は雄牛の浮き出た肋骨(あばらぼね)付近、左腕は背骨に置かれている。
 表現は極めて動的なシーンでありながら、変化する動きの一瞬を切り取って刻んだ素晴らしい作品である。その製作は「新宮殿時代」の後期、後期ミノア文明LMII期〜LMIIIA1期・紀元前1450年〜前1375年とされている。


I-2-06 金製宝飾品 《ミツバチ・ペンダント》

          ミノア文明 マーリア遺跡、金製「ミツバチ・ペンダントGold Bee Pendant」

出土遺跡:マーリア遺跡・クリィソラッコス共同墓地
表現:金製ペンダント、黄金の造粒技術の最高傑作品・向かい合う二匹のミツバチ
年代:MMIIA期・紀元前1800年〜前1700年
展示:HAM・登録番号559/高さH46mm
現地:クレタ島・中央北部・イラクリオン〜東方35km
描画:大久保栄次


 イラクリオン〜東方35km、マーリア宮殿の王家の埋葬施設、列柱形式を含め無数の連結建物で構成されたクリィソラッコス共同墓地Chrysolakkosからは、ミノア文明・金製宝飾品の最高傑作品の一つ、金製《ミツバチ・ペンダントBee Pendant》が出土している。
 1921年の発掘調査で見つかった金製ペンダントは、「旧宮殿時代」の半ば、中期ミノア文明MMIIA期・紀元前1800年〜前1700年に製作された。
 二匹のミツバチが向かい合う形容の金製ペンダントでは、羽根を初め腹部や眼の周囲、そして集めた花粉玉などは精巧な金の微細粒、無数のビーズ装飾(小球)が施されている。この繊細・精緻な宝飾技法は、5,500年前中東バビロニア・シュメール人が開発したとされる、「黄金の造粒技術Gold Granulation」と呼ばれている。
 この技術の作品は、プライソス遺跡の金製リングやクノッソス宮殿遺跡・南の邸宅からの宝飾リング、南西部メッサラ平野のミノア文明遺跡から、あるいはキプロス遺跡からも出土している。


I-2-10 ネックレース 「金製ビーズ・緑ジャスパー」

          ミノア文明 アルカネス遺跡、きんせい&象牙ネックレース、緑ジャスパー

出土遺跡:アルカネス遺跡・フォウルニ共同墓地・トロス式墳墓Γ
表現:金製&象牙ビーズ・ネックレース/トップ=緑ジャスパー
年代:EMIII期・紀元前2200年〜前2000年
展示:HAM
現地:クレタ島・中央北部
描画:大久保栄次


 アルカネス遺跡Archanes・フォウルニ共同墓地のトロス式墳墓Γ(C)は、メッサラ様式の円形墳墓と同様な構造を成し、埋葬のトロス部は比較的小さく内径3.6mであった。トロス内部で確認された11基のラルナックス陶棺と多くのピトス容器の陶棺、さらに墳墓入口付近を含めた床面に安置された遺体を含め、合計50体以上の遺体が確認された。初期ミノア文明EMIII期・紀元前2200年〜前2000年までの埋葬である。


I-4-02 金表装・ラピスラズリ製リング 「ライオン&調教師」

          ミノア文明 クノッソス宮殿遺跡・南の邸宅、金装飾・ラピスラズリ製リング、ライオン・調教師の絵柄

出土遺跡:クノッソス宮殿遺跡・南の邸宅House of the South
表現:金装飾・ラピスラズリ製のリング・黄金の造粒技術・ライオン&調教師
年代:LMIB期・紀元前1500年〜前1450年
展示:HAM・登録番号839/横L19mm
現地:クレタ島・中央北部
描画:大久保栄次


II-1-01 天井フレスコ画 「渦巻き線・ロゼッタ紋様」

          ミノア文明 クノッソス宮殿遺跡・北翼部・神殿 浮彫フレスコ画 天井壁画 渦巻き線・ロゼッタ紋様

出土遺跡:クノッソス宮殿遺跡・北翼部・神殿
表現:浮彫フレスコ画・連鎖する渦巻き線・ロゼッタ・四花弁の紋様
年代:MMIIIA期〜LMIB期・紀元前1625年〜前1450年
参考情報:Sir Arthur John Evans発掘レポート
The PALACE of MINOS at KNOSSOS v. III (1930)
現地:クレタ島・中央北部
描画:大久保栄次


 Sir Arthur John Evans のクノッソス宮殿遺跡・北翼部の発掘では、この翼部の入口でもある北西プロピュライアの南側に配置された部屋からは、《サフラン摘みのフレスコ画》の断片が大量に出土している。この部屋のさらに南側、中央中庭の北西側には研究者に「神殿Shrine」と呼ばれる、複雑構造の部屋群が配置されていた。
 神殿遺構の主に東半分の区画からは、何十人もの着飾ったミノアの美しい女性達が、三分割聖所の周辺で集う《観覧席Grandstand》のフレスコ画の断片が大量に見つかった。さらに神殿区画の南東部分、中央中庭の北側直ぐの部屋では、中央中庭から下がるのか?室内石段が確認され、石膏石・アラバスター製の水盤が出土、そしてミノア文明の広間の小壁や入口上部など、室内装飾のスタンダードな絵柄である、非常に美しい《渦巻き線とロゼッタ紋様》のフレスコ画の断片が見つかった。

 Evansが発表した発掘レポート(1930年)では、このフレスコ画の復元絵柄は、中心部に小さなロゼッタのある無数の浮き彫り(レリーフ)された、白色の渦巻き線紋様が四方へ連鎖して広がり、その隙間には中サイズのロゼッタ紋様、さらに間隔約75cm毎に四花弁の縁取りの中に大きな浮き彫りロゼッタ紋様が配置された、精緻な立体フレスコ画であった。
 3,500年以上前、ミノアの絵師により製作されたフレスコ画だが、今日のアートデザインにも何の憚りもなく堂々と使えるほどの要素と見事な構図バランスが認められる。この渦巻き線のフレスコ画についてEvansは、現実にはそれほど大規模な面積ではなく、比較的狭い部分の装飾であった可能性もあるが、ただ間違いなく「天井の装飾」として描かれていた、と想定している。

 推測できる製作過程では、先ず天井一面に下地漆喰を塗り、下絵を基準として盛り上がり(レリーフ)の渦巻き線部分を造る。そして背景色と中サイズ・ロゼッタ紋様、さらに小サイズ・ロゼッタ紋様と渦巻き線の色付けの後、別途に製作した大サイズ・ロゼッタ紋様が描かれた、幅25cm以上の四花弁のパーツを逆さに固定する、となるだろう。
 これはフレスコ画の必須プロセスである「漆喰が乾かない間に顔料で色付けする」という、ミノアのフレスコ画職人にとっても時間との勝負の相当に困難な作業であったに違いない。しかも、垂直な壁面や平らな床面ではなく、「逆さま作業」を強いられる天井の浮き彫りの装飾である。

 平面に描くフレスコ画ではなく、この渦巻き線の部分は実際には浮き彫り施工であり、光が横〜斜め方向から照射されたなら、カーブする一本一本の無数の渦巻き線にわずかな陰を伴った明暗のコントラストが生まれるはずである。そのビジュアル効果は絶大であり、Evansが言うギリシア語の「キアノス・ブルー」、やや紫色系の青色を基調とするフレスコ画全体は比較的落ち着いた色彩でありながら、眼を奪われるほどの典雅にして豪華な雰囲気をかもし出していた、と無理なく想像できる。

 この非常に美しいパターンの浮彫フレスコ画は、間違いなく神殿の天井、あるいは神殿区画の上階に存在した上質な広間の天井を装飾していたものが、紀元前1375年頃、大火災によりクノッソス宮殿が最終崩壊する時、階下の神殿区画へ瓦礫と共に崩落したと断定できる。
 なお、神殿区画からの浮彫フレスコ画とほぼ同じ、連鎖する渦巻き線の絵柄パターンでは、東翼部・王妃の間の天井フレスコ画でも表現されていたことを、出土したフレスコ画の断片が代弁している。王妃の間の支柱側面はロゼッタ紋様と踊るミノア女性達のポートレート、小壁は小魚とイルカの泳ぐ様、そしてEvansの言う「キアノス・ブルー」を背景とする天井は連鎖する渦巻き線紋様のフレスコ画で装飾されていた。


II-2-02 《行列フレスコ画》 「王女・男性8人」

          ミノア文明 クノッソス宮殿遺跡・南西翼部 フレスコ画 「王女とミノア男性達」

出土遺跡:クノッソス宮殿遺跡・南西翼部・行列フレスコ画の通廊Corridor of Procession Fresco
表現:フレスコ画 《王女とミノア男性達》 (行列フレスコProcession Frescoの部分)
年代:MMIIIA期〜LMIB期・紀元前1625年〜前1450年
展示:HAM
現地:クレタ島・中央北部
描画:大久保栄次


 クノッソス宮殿遺跡Knossos Palaceでは、今日、ツーリストの見学コースがミノアの宮殿時代の来訪者の歩んだ順路とほぼ同じように設定されている。見学ツーリストは石板舗装の宮殿・西中庭に立った瞬間から、早くも目の前に広がる宮殿の西翼部・正面ファサードの大規模な壁面遺構に圧倒されながら、西ポーチからさらに南側の壁面全体が感動的なフレスコ画で装飾されていた、行列フレスコ画の通廊Corridor of Procession Frescoへ向かう。

 かつてミノアの時代、通廊の壁面に描かれた壮大な《行列フレスコ画Procession Fresco》は、その場に立った人が覚える感動・感激を遥かに超越した、驚異の長大物語に相当するフレスコ画であった。
 サフラン染めの鮮やかな色合いの服装の男性楽師達の奏でる7弦リラ(たて琴)・二管フルート・シストルム、シンバルのリズムに合わせて、手を優雅に動かし踊り歌っているミノアの女性、前後を大勢の若いミノアの男性達に守られ踊るように歩む、象牙のティアラと豪華な衣装の王女(女神?)、そして銀製水入れや陶器のリュトン杯など上質な献上品を携えた人達が、まるで現実の姿のように描かれていた。


クノッソス宮殿遺跡・西翼部二階

          ミノア文明 クノッソス宮殿遺跡・西翼部二階 プラン図

遺跡:クノッソス宮殿遺跡・西翼部二階 プラン図
参考情報:Sir Arthur John Evans発掘レポート
The PALACE of MINOS at KNOSSOS v. II (1928)
現地:クレタ島・中央北部
作図:大久保栄次


II-2-09 フレスコ画 《女神パリジェンヌ》

               ミノア文明 クノッソス宮殿遺跡・西翼部・西貯蔵庫12号室 フレスコ画 《女神パリジェンヌ》

出土遺跡:クノッソス宮殿遺跡・西翼部・西貯蔵庫12号室
表現:発掘者Evans=フレスコ画《女神パリジェンヌ》と令名
年代:LMI期・紀元前1500年頃
展示:HAM・登録番号11/高さH250mm
現地:クレタ島・中央北部
撮影:1994年


 クノッソス宮殿遺跡Knossos Palace・西翼部一階、宮殿管理の西貯蔵庫群の第12号室付近から見つかったフレスコ画断片の一つは、発掘者Sir Arthur John Evansをして《女神パリジェンヌ》と令名された。
 紀元前1375年頃、クノッソス宮殿の最終崩壊の時、フレスコ画は当時描かれていた上階(二階)の聖なる北西儀式広間の壁面が火炎で破壊され、瓦礫と化した大量の建築部材と共に階下の西貯蔵庫群へ微塵となって崩落した。
 目にも鮮やかなルージュをひいた《女神パリジェンヌ》の首筋(うなじ)〜背中にかけて、ループカーブしている深紅色の太い紐(ひも)が描かれている。Evansはこれを「聖なる結び目Sacral Knot(III-10-26)」と呼び、本人がクノッソスの街ko-no-soに住む普通のミノア女性ではなく、宮殿の聖所や儀式などに関わる特別な存在であった「女神」、あるいは「高位の巫女」を意味していると考えた。

 なお、ミノアの時代、女神は “特別な姿” ではなく、巫女や一般のミノア女性達と同じ、“人間の姿” として認識され、フレスコ画や印章の刻みなどで表現されていた。女神と普通のミノア女性との違いは衣装、特に女神の履く縫製された厚ぼったいスカートの仕様と背負うような「聖なる結び目」の有無である。時には女神の脇に聖なる動物のハト(鳩)が表現されることもある。
 また、女神と王女など尊貴な女性との違いでは、すべてのフレスコ画や印章表現に適用するとは言えないが、女神はベレー帽のようなカクテルハット?を被り、王女はティアラ(II-2-03)を付け美装する場合が多い。フレスコ画《女神パリジェンヌ》ではカクテルハットを被らず、ループカーブする「聖なる結び目」を付けている。


III-1-01 アギオス・オヌフリオス様式・水差し

               ミノア文明 アギオス・オヌフリオス遺跡Agios Onouphrios・円形墳墓 水差し 微細線紋様

出土遺跡:アギオス・オヌフリオス遺跡Agios Onouphrios・円形墳墓
表現:アギオス・オヌフリオス様式・優美な器形の水差し・微細線の紋様
年代:EMI期・紀元前2700年〜前2600年
展示:HAM・登録番号5/高さH215mm
現地:クレタ島・メッサラ平野・フェストス宮殿遺跡〜北北西1km
描画:大久保栄次
GPS:35°03'33.50''N 24°48'26.50''E/標高35m


 フェストス宮殿遺跡〜北北西1km付近、幹線道路N97号の脇に建つ聖オヌフリオス礼拝堂〜北西40mほど、オリーブ耕作地の中にアギオス・オヌフリオス遺跡Agios Onouphrios・メッサラ様式の円形墳墓がある。
 19世紀の終わり頃の墳墓の発掘調査では、石製容器・宝飾品・青銅製短剣・石製印章、エーゲ海キクラデス様式の塑像などが発見された。優美な器形と赤茶色の微細線で装飾された初期ミノア文明の上品な水差しも見つかっている。


III-2-11 カマレス様式・ブリッジ型注ぎ口付き水入れ

            ミノア文明 フェストス宮殿遺跡 カマレス様式陶器 水入れ サフラン絵柄

出土遺跡:フェストス宮殿遺跡・東翼部・第64室(王子の部屋)
表現:カマレス様式・ブリッジ型注ぎ口付き水入れ・連鎖するサフラン・渦巻き線紋様
年代:MMIIB期・紀元前1700年〜前1625年
展示:HAM/高さH約430mm
現地:クレタ島・メッサラ平野
描画:大久保栄次


 植物性デザインの代表格、サフランの花をモチーフにしたカマレス様式陶器では、メッサラ平野のフェストス宮殿遺跡Phaestos Palaceからの出土品、ブリッジ型注ぎ口付き水入れがある。
 サフランの花の対(二個)を上下対称として、流行していたモチーフの一つ、水飴が回転しながら湾曲して垂れるようなカンマ紋様と大胆な渦巻き線の組み合わせの絵柄である。「旧宮殿時代」の後半期、中期ミノア文明MMIIB期に属する、典型的なカマレス様式陶器のモチーフを力強く表現している。
 水入れの出土スポットは、「旧宮殿時代」の円柱礎が残る東翼部の第64室、「王子の部屋Prince Room」と呼ばれる区画からである。この部屋からはカマレス様式の複数の容器が見つかっている。


III-4-01 宮殿様式・大型ピトス容器

                ミノア文明 クノッソス宮殿遺跡・西翼部・西貯蔵庫 宮殿様式ピトス容器 両刃斧・ロゼッタ紋様

出土遺跡:クノッソス宮殿遺跡・西翼部・西貯蔵庫・第11号〜13号室
表現:宮殿様式・大型ピトス容器・植物性デザイン&両刃斧・ロゼッタ紋様
年代:LMII期・紀元前1450年〜前1400年
展示:HAM・登録番号7757/高さH1,345mm
現地:クレタ島・中央北部
描画:大久保栄次


 後期ミノア文明LMIB期・紀元前1450年頃、クレタ島の三か所のミノア宮殿と無数の地方邸宅と庶民の町が、ギリシア本土からの「侵攻ミケーネ人」により相次いで徹底的に破壊された。そうして、紀元前1375年頃にクノッソス宮殿Knossos Palaceが最終崩壊するまでの約75年の間に、「占領ミケーネ人」の統治下の東翼部・陶器工房の腕の立つ職人達は、「新宮殿時代」の ”最後の文化の花” と言っても過言とならない、ミノア文明を象徴するに値する美しい陶器様式を確立した。
 それが “クノッソス宮殿の限定品” となる、当時、東地中海域で「最も美しい陶器」と呼ばれたミノア宮殿様式Minoan Palace Styleである。紀元前1450年頃のミケーネ人の侵攻後、破壊を免れたクノッソス宮殿で発達した宮殿様式陶器は、事実上、発掘ではクノッソス宮殿遺跡と宮殿区域の邸宅、そして周辺に点在する王家に関わる墓地&墳墓からのみ出土する。

 Sir Arthur John Evansの発掘では、クノッソス宮殿遺跡・西翼部、西貯蔵庫・第11号室〜第13号室周辺から、宮殿様式陶器の「最高作品」と強調できる高さ1,345mm、装飾用の大型ピトス容器が見つかっている。当然、ピトス容器はクノッソス宮殿の最終崩壊の時、紀元前1375年頃、間違いなく西翼部の上階に存在した聖なる北西儀式広間などから崩落した、と断定できる。
 この宮殿様式の大型ピトス容器は装飾用である。その絵柄は基本的には穏やかな印象を与える植物性デザインであるが、ミノア文明の最高崇拝シンボルであった両刃斧とロゼッタ紋様を中央スペースに威厳を秘めながら堂々と表現している。

 ギリシア本土ミケーネ文明の系譜である宮殿様式陶器では、器形の美しいアンフォラ型容器を初め、水差しなど多くの作品が出土している。しかしながら、今までにクレタ島内で出土・確認されている宮殿様式陶器の内、絵柄デザインの内容に限定するなら、8基の両刃斧をデフォルメして簡略的に描くのではなく、精緻な細線で正確に描写するこの装飾用の大型ピトス容器こそが、最も高い格式でクノッソス宮殿の統治者を称えていると強調できる。
 故にミノア陶器において、これ以上の畏敬象徴する上質なアートモチーフは他に見当たらない。この大型ピトス容器がクノッソス宮殿の最終ステージの時代、西翼部二階の宮殿で最も壮麗な広間、聖なる北西儀式広間を飾るのに相応しい、最高の装飾品であったのは間違いないだろう。その製作は「新宮殿時代」の後半、後期ミノア文明LMII期・紀元前1450年〜前1400年である。


III-5-01 海洋性デザイン様式・水入れ

                 ミノア文明 ザクロス宮殿遺跡 海洋性デザイン様式の水入れ、アオイガイArgonautの絵柄

出土遺跡:ザクロス宮殿遺跡・西翼部
表現:海洋性デザイン様式の水入れ・アオイガイの絵柄
年代:LMIB期・紀元前1500年〜前1450年
展示:HAM・登録番号14098
現地:クレタ島・最東部
描画:大久保栄次


 ザクロス宮殿遺跡Zakros Palace・西翼部からは、美形の石製容器のみならず、宮殿の広間などで飾るに相応しい非常に美しい器形、海洋性デザイン様式の水入れが出土した。
 適度に開いた平らな口縁部、鐙型ハンドル、長い頸部と「逆さ梨型Piriform=Pear-shaped」の美しい肩部〜胴部には、カンマ紋様と海洋生物・アオイガイが微細紋様の波間を浮遊する姿が描写されている。「花ほとばしる新宮殿時代」の最盛期、ミノア文明の最高傑作の陶器の一つである。


III-6-04 準宮殿様式・水差し

                    ミノア文明 クノッソス宮殿遺跡・王家の邸宅Royal Villa 準宮殿様式 美形の水差し パピルス絵柄

出土遺跡:クノッソス宮殿遺跡・王家の邸宅Royal Villa
表現:準宮殿様式・美形の水差し・抽象化のパピルスの絵柄
年代:LMIIIA期・紀元前1400年〜前1300年
展示:HAM
現地:クレタ島・中央北部
描画:大久保栄次
GPS:35°17'57''N 25°09'52''E/標高80m


 クノッソス宮殿遺跡・東入口の周囲林の北東の方向、農道の右下(東側)に残るクノッソス宮殿の尊貴な王族や祭司などが居住した、王家の邸宅Royal Villaの遺構からは、準宮殿様式の美しい器形の水差しが見つかっている。
 特徴的な長い頸部と注ぎ口、楕円形状のハンドル、肩部の絵柄には抽象化されたパピルスの花、腹部に横帯線無地のスペースを活かしたデザイン、後期ミノア文明LMIIIA期・紀元前1400年〜前1300年の作品である。


III-10-03 ファイアンス製《ヘビの女神像》

            ミノア文明 クノッソス宮殿遺跡・西翼部・聖域・神殿宝庫 ヘビの女神像

出土遺跡:クノッソス宮殿遺跡・西翼部・聖域・神殿宝庫
表現:ファイアンス陶器《ヘビの女神像》
・左 母女神像=HAM・登録番号63/高さ342mm
・右 娘女神像=HAM・登録番号65/高さ295mm
年代:MMIIIA期・紀元前1625年頃
現地:クレタ島・中央北部
撮影:1994年


 クノッソス宮殿遺跡・聖域・神殿宝庫Temple Repositoriesから出土したファイアンス陶器《ヘビの女神像》は、上半身の欠けた一体と同じ製作様式の合計三体が、厳密に言えば宝庫の東側の収納ピットの中から見つかった。一部の研究者は、これらのファイアンス像は「女神の母と娘」を表していると判断している。両刃斧と同じ、《ヘビの女神》はミノアの人々から絶対的に崇拝されていた、言わばミノア文明の「最高崇拝シンボル」の一つでもあった。
 両手を上方へ広げた高さ295mmの細身の「娘女神」は両手に蛇を持ち、豊かな胸はコルセット風の引き締まった衣装から完全にはみ出している。娘女神の頭上にはネコ科のレパード(ヒョウ)か、メスライオンが佇んでいる。両手をやや広めに下げた高さ342mmの「母女神」はヘビを両腕に巻き付けている。


III-10-16 テラコッタ製 《雄牛遊び》

            ミノア文明 コウマサ遺跡 テラコッタ製塑像 雄牛遊び

出土遺跡:コウマサ遺跡・円形墳墓E
表現:テラコッタ製・三人のミノア男性の《雄牛遊び・雄牛乗り》
年代:MMIIA期・紀元前1800年頃
展示:HAM・登録番号4676/長さL208mm
現地:クレタ島・メッサラ平野・フェストス宮殿遺跡〜東南東20km
描画:大久保栄次
GPS:34°59'00''N 25°00'47''E/標高360m


 南西部・メッサラ平野のコウマサ遺跡Koumasaの円形墳墓からは、ミノア文明の特徴の一つ、「雄牛跳び」に共通する、テラコッタ製のリュトン杯《雄牛遊び or 雄牛乗り》が出土している。
 三基のメッサラ様式の円形墳墓と一基の方形墳墓が確認されたコウマサでは、初期ミノア文明EMII期・紀元前2600年頃から埋葬が始まったとされ、特にテラコッタ製のリュトン杯《雄牛遊び or 雄牛乗り》が出土した円形墳墓Eは、「旧宮殿時代」に相当する時期、中期ミノア文明MMIIA期・紀元前1800年頃の埋葬に使われた。


III-12-10 テラコッタ製 《ミノア王妃のバスタブ》

          ミノア文明 クノッソス宮殿遺跡・東翼部・ミノア王妃のバスルーム 「世界最古のバスタブ」

出土遺跡:クノッソス宮殿遺跡・東翼部・ミノア王妃のバスルーム
表現:「世界最古のお風呂」=実用のバスタブ
年代:MMIIIA期〜LMIIIA1期・紀元前1625年〜前1375年
展示:宮殿遺構(現在 立入禁止区域)
現地:クレタ島・中央北部
撮影:1982年


 クノッソス宮殿遺跡・東翼部・王妃の間コンプレックスQueen’s Room Complex、王妃の間の西側には直結されたミノア王妃のバスルームがある。残念ながら、現在、王妃のバスルームの立入見学は許されていない。
 バスルームはそれほど広くなく、内部には小さな鉢植えなどを置いたであろう、高さ1mの仕切り壁と細い円柱一本がある。王妃のバスタブが置かれた実用のお風呂スペースは南北2.4m・東西2.3m、和風サイズ換算=約3畳半の広さである。
 120年前、Sir Arthur John Evansによる発掘ミッションの後、時間経過とクレタ島の乾燥した外気に触れていることから、1982年の撮影時点では、ミノア王妃のバスタブにクラック割れが確認でき、石膏プラスターの塗壁表装の剥離も目立ち、変色と劣化もかなり進行していた。

 多くの人が関心を持っている《世界最古のお風呂&バスタブ》であるミノア王妃のバスタブは、高温度で焼成された素焼き粘土・テラコッタ製品、頭を置く場が少し縁高の形容である。バスタブの長さは約155cm、現在では色彩劣化でほとんど判別が難しいが、かつてタブの外周側面は円形とツタの葉かパピルスの花、あるいは揺らぐヨシのような植物の葉を連鎖モチーフにしたクール・デザインで装飾されていた。
 初めて訪れた1982年では、王妃のバスルームへの立ち入りは許されていたが、現在、ツーリストの立入禁止区域に指定されている。
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