大久保栄次著 印刷書籍・電子書籍 エーゲ海ミノア文明・ミケーネ文明の遺産 遺跡と出土品詳細データ |
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ミノア文明の工芸美術を旅する 「陶器」 | |
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・サブタイトル: 精密イラスト画による出土品のデータ解説 ・表記: 日本語 ・形式: e-book/Webダウンロード ⇒ PC・タブレット端末・スマートフォン ・サイズ: 313ページ(kindle画面相当) 容量470Mb ・販売: Amazonネットワーク/Amazon.co.jp |
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内容概要: 本電子書籍は、エーゲ海の先史ミノア文明遺跡から発掘された出土品の「精密イラスト画&データブック」です。本電子書籍はミノア文明センターであったクノッソス宮殿遺跡を初め、クレタ島各地のミノア文明遺跡からの主要出土品の内、一際優れた陶器150点をピックアップしています。解説する出土品の90%以上は精密イラスト画で、残りは写真で公開します。 本電子書籍は、クレタ島イラクリオン考古学博物館を初め、アテネ国立考古学博物館を含め、各地の考古学博物館で展示公開されている出土品の中から、特に厳選した重要な作品を介して、ミノア文明の「工芸美術の世界」へ誘います。 内容: I ミノア文明&宮殿の概要 II 初期ミノア陶器 III 中期ミノア陶器/カマレス様式 Kamares Style IV 中期ミノア陶器/汎用 General Purpose V 後期ミノア陶器/宮殿様式 Palace Style VI 後期ミノア陶器/海洋性デザイン様式 Marine Design Style VII 後期ミノア陶器/植物性デザイン様式 Floral Design Style VIII 後期ミノア陶器/抽象・幾何学様式 Abstract and Geometric Style IX 後期ミノア陶器/汎用 General Purpose X 儀式・祭祀リュトン杯 Ritual Rhyton XI 装飾用リュトン杯 Rhyton for Decoration XII 日常生活用の陶器 Pottery for Daily Life XIII テラコッタ塑像&陶棺Terracotta Figurine & Larnax |
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サンプル・ページ:(抜粋) ---------- II-01 アギオス・オヌフリオス様式Agios Onouphrios style・水差し ![]() 出土遺跡:アギオス・オヌフリオス遺跡Agios Onouphrios・円形墳墓 表現:アギオス・オヌフリオス様式・優美な器形の水差し・微細線の紋様 年代:EMI期・紀元前2700年〜前2600年 展示:HAM・登録番号5/高さH215mm 現地:クレタ島・メッサラ平野・フェストス宮殿遺跡〜北北西1km 描画:大久保栄次 GPS:35°03'33.50''N 24°48'26.50''E/標高35m III-08 カマレス様式・ピトス容器 「魚」モチーフ ![]() 出土遺跡:フェストス宮殿遺跡・東翼部・第64室(王子の部屋) 表現:カマレス様式・「逆さ梨型」のピトス容器、魚・渦巻き線・波状紋様 年代:MMIIB期・紀元前1700年〜前1625年 展示:HAM・登録番号10679/H495mm 現地:クレタ島・メッサラ平野 描画:大久保栄次 カマレス様式陶器Kamares style Wareは、「旧宮殿時代」の半ば、中期ミノア文明MMIIA期・紀元前1800年頃から生産が始まり、「新宮殿時代」に至るまで長期間、人々に愛され続けたミノア文明を代表する陶器の一つ、大胆な絵柄と鮮やかな色彩に特徴がある。 「カマレスKamares」とは、この様式陶器が最初に発見された聖なるイダ山系(イディ山/クレタ島最高峰・標高2,456m 別名Psiloritis)の南東山麓のカマレス洞窟Kamares Caveからその名称を由来している。カマレス様式陶器の出土では、特にクレタ島の南西部で多く生産されたことから、発掘ではメッサラ平野のフェストス宮殿遺跡からの出土例が圧倒的で、作品の上質なセンスと絵柄の表現力は際立っている。 聖なるイダ山系・カマレス洞窟の位置は、フェストス宮殿遺跡〜北方12kmの標高600mのカマレス村からトレッキングルートを北方へ3時間登った、ほとんど植生のない標高1,700m付近の荒涼の岩石斜面である。車で行ける人気のある標高1,350mのニダ高原Nidas Plateau〜南南西3.5kmの距離である。 南北40m以上の開口幅、西方へ大きく開口したカマレス洞窟は、先史時代からの崇拝の場所、19世紀の末期村人により発見され、その後、1913年、イギリス考古学チームが洞窟内部の本格的な調査を実施した。 GPS カマレス洞窟:35°10'39''N 24°49'39.50''E/標高1,700m GPS ニダ高原:35°12'27''N 24°50'25''E/標高1,350m III-2-11 カマレス様式・ブリッジ型注ぎ口付き水入れ 植物性デザインの代表格、サフランの花をモチーフにしたカマレス様式陶器では、メッサラ平野のフェストス宮殿遺跡Phaestos Palaceからの出土品、ブリッジ型注ぎ口付き水入れがある。 サフランの花の対(二個)を上下対称として、流行していたモチーフの一つ、水飴が回転しながら湾曲して垂れるようなカンマ紋様と大胆な渦巻き線の組み合わせの絵柄である。「旧宮殿時代」の後半期、中期ミノア文明MMIIB期に属する、典型的なカマレス様式陶器のモチーフを力強く表現している。 水入れの出土スポットは、「旧宮殿時代」の円柱礎が残る東翼部の第64室、「王子の部屋Prince Room」と呼ばれる区画からである。 ![]() 出土遺跡:フェストス宮殿遺跡・東翼部・第64室(王子の部屋) 表現:カマレス様式・ブリッジ型注ぎ口付き水入れ・連鎖するサフラン・渦巻き線紋様 年代:MMIIB期・紀元前1700年〜前1625年 展示:HAM/高さH約430mm 現地:クレタ島・メッサラ平野 描画:大久保栄次 参考・関連:フェストス宮殿遺跡・西翼部〜北翼部〜東翼部 ![]() 遺跡:フェストス宮殿遺跡 状態:西翼部〜北翼部〜東翼部 プラン図 年代:新宮殿=MMIIIA期〜LMIB期・紀元前1625年〜前1450年 (一部 旧宮殿=MMIB期〜MMIIB期・紀元前1900年〜前1625年) 現地:クレタ島・メッサラ平野 作図:大久保栄次 GPS:35°03'05''N 24°48'51''E/標高85m VII-01 植物性デザイン様式Floral Design style・水差し ミノア陶器を代表する植物性デザイン様式の最も美しい陶器の一つ、フェストス宮殿遺跡から出土したヨシの絵柄の水差しがある。明るい地に暗色のヨシの群生だけを描いた、一見では単純なモチーフだが極めて精緻な作品である。 ![]() 出土遺跡:フェストス宮殿遺跡 表現:植物性デザイン様式の水差し、ヨシの絵柄 年代:LMIB期・紀元前1500年〜前1450年 展示:HAM・登録番号3962/高さH290mm 現地:クレタ島・メッサラ平野 描画:大久保栄次 V-01 宮殿様式Palace Style・大型ピトス容器 “クノッソス宮殿限定品” ![]() 出土遺跡:クノッソス宮殿遺跡・西翼部・西貯蔵庫・第11号〜13号室 表現:宮殿様式・大型ピトス容器・植物性デザイン&両刃斧・ロゼッタ紋様 年代:LMII期・紀元前1450年〜前1400年 展示:HAM・登録番号7757/高さH1,345mm 現地:クレタ島・中央北部 描画:大久保栄次 後期ミノア文明LMIB期・紀元前1450年頃、クレタ島の三か所のミノア宮殿と無数の地方邸宅と庶民の町が、ギリシア本土からの「侵攻ミケーネ人」により相次いで徹底的に破壊された。そうして、紀元前1375年頃にクノッソス宮殿Knossos Palaceが最終崩壊するまでの約75年の間に、「占領ミケーネ人」の統治下の東翼部・陶器工房の腕の立つ職人達は、「新宮殿時代」の ”最後の文化の花” と言っても過言とならない、ミノア文明を象徴するに値する美しい陶器様式を確立した。 それが “クノッソス宮殿の限定品” となる、当時、東地中海域で「最も美しい陶器」と呼ばれたミノア宮殿様式Minoan Palace Styleである。紀元前1450年頃のミケーネ人の侵攻後、破壊を免れたクノッソス宮殿で発達した宮殿様式陶器は、事実上、発掘ではクノッソス宮殿遺跡と宮殿区域の邸宅、そして周辺に点在する王家に関わる墓地&墳墓からのみ出土する。 Sir Arthur John Evansの発掘では、クノッソス宮殿遺跡・西翼部、西貯蔵庫・第11号室〜第13号室周辺から、宮殿様式陶器の「最高作品」と強調できる高さ1,345mm、装飾用の大型ピトス容器が見つかっている。当然、ピトス容器はクノッソス宮殿の最終崩壊の時、紀元前1375年頃、間違いなく西翼部の上階に存在した聖なる北西儀式広間などから崩落した、と断定できる。 この宮殿様式の大型ピトス容器は装飾用である。その絵柄は基本的には穏やかな印象を与える植物性デザインであるが、ミノア文明の最高崇拝シンボルであった両刃斧とロゼッタ紋様を中央スペースに威厳を秘めながら堂々と表現している。 ギリシア本土ミケーネ文明の系譜である宮殿様式陶器では、器形の美しいアンフォラ型容器を初め、水差しなど多くの作品が出土している。しかしながら、今までにクレタ島内で出土・確認されている宮殿様式陶器の内、絵柄デザインの内容に限定するなら、8基の両刃斧をデフォルメして簡略的に描くのではなく、精緻な細線で正確に描写するこの装飾用の大型ピトス容器こそが、最も高い格式でクノッソス宮殿の統治者を称えていると強調できる。 故にミノア陶器において、これ以上の畏敬象徴する上質なアートモチーフは他に見当たらない。この大型ピトス容器がクノッソス宮殿の最終ステージの時代、西翼部二階の宮殿で最も壮麗な広間、聖なる北西儀式広間を飾るのに相応しい、最高の装飾品であったのは間違いないだろう。その製作は「新宮殿時代」の後半、後期ミノア文明LMII期・紀元前1450年〜前1400年である。 VI-01 海洋性デザイン様式Marine Design Style・水入れ ![]() 出土遺跡:ザクロス宮殿遺跡・西翼部 表現:海洋性デザイン様式の水入れ・アオイガイの絵柄 年代:LMIB期・紀元前1500年〜前1450年 展示:HAM・登録番号14098 現地:クレタ島・最東部 描画:大久保栄次 ザクロス宮殿遺跡Zakros Palace・西翼部からは、美形の石製容器のみならず、宮殿の広間などで飾るに相応しい非常に美しい器形、海洋性デザイン様式の水入れが出土した。 適度に開いた平らな口縁部、鐙型ハンドル、長い頸部と「逆さ梨型Piriform=Pear-shaped」の美しい肩部〜胴部には、カンマ紋様と海洋生物・アオイガイが微細紋様の波間を浮遊する姿が描写されている。「花ほとばしる新宮殿時代」の最盛期、ミノア文明の最高傑作の陶器の一つである。 参考・関連:ザクロス宮殿遺跡・西翼部 ![]() 遺跡:ザクロス宮殿遺跡・西翼部一階レベル プラン図 年代:MMIIIA期〜LMIB期・紀元前1625年〜前1450年 現地:クレタ島・最東部/シティア市街地〜南東19km 作図:大久保栄次 GPS:35°05'53''N 26°15'40''E/標高5m VII-04 準宮殿様式・水差し・植物性デザイン様式 クノッソス宮殿遺跡・東入口の周囲林の北東の方向、農道の右下(東側)に残るクノッソス宮殿の尊貴な王族や祭司などが居住した、王家の邸宅Royal Villaの遺構からは、準宮殿様式の美しい器形の水差しが見つかっている。 特徴的な長い頸部と注ぎ口、楕円形状のハンドル、肩部の絵柄には抽象化されたパピルスの花、腹部に横帯線無地のスペースを活かしたデザイン、後期ミノア文明LMIIIA期・紀元前1400年〜前1300年の作品である。 ![]() 出土遺跡:クノッソス宮殿遺跡・王家の邸宅Royal Villa 表現:準宮殿様式・美形の水差し・抽象化のパピルスの絵柄 年代:LMIIIA期・紀元前1400年〜前1300年 展示:HAM 現地:クレタ島・中央北部 描画:大久保栄次 GPS:35°17'57''N 25°09'52''E/標高80m X-02 ファイアンス製 《ヘビの女神像Snake Goddess》 ![]() 出土遺跡:クノッソス宮殿遺跡・西翼部・聖域・神殿宝庫 表現:ファイアンス陶器《ヘビの女神像》 ・左 母女神像=HAM・登録番号63/高さ342mm ・右 娘女神像=HAM・登録番号65/高さ295mm 年代:MMIIIA期・紀元前1625年頃 現地:クレタ島・中央北部 撮影:1994年 クノッソス宮殿遺跡・聖域・神殿宝庫Temple Repositoriesから出土したファイアンス陶器《ヘビの女神像》は、上半身の欠けた一体と同じ製作様式の合計三体が、厳密に言えば宝庫の東側の収納ピットの中から見つかった。一部の研究者は、これらのファイアンス像は「女神の母と娘」を表していると判断している。両刃斧と同じ、《ヘビの女神》はミノアの人々から絶対的に崇拝されていた、言わばミノア文明の「最高崇拝シンボル」の一つでもあった。 両手を上方へ広げた高さ295mmの細身の「娘女神」は両手に蛇を持ち、豊かな胸はコルセット風の引き締まった衣装から完全にはみ出している。娘女神の頭上にはネコ科のレパード(ヒョウ)か、メスライオンが佇んでいる。両手をやや広めに下げた高さ342mmの「母女神」はヘビを両腕に巻き付けている。 ![]() 遺跡:クノッソス宮殿遺跡・西翼部・聖域(現在 立入禁止区域) ・一階レベル・プラン図 現地:クレタ島・中央北部 作図:大久保栄次 かつて先史ミノア文明では、「王=神」と崇められ、王の住む「宮殿」は「神の住む神殿Temple」と同じ意味を成したことから、発掘者エヴァンズを初め考古学の研究者から、「宮殿の宝庫Palace Repositories」は「神殿の宝庫Temple Repositories」と呼ばれてきた。 石製ベンチの控え室の北側に配置された奥の部屋が、クノッソス宮殿の宝飾品の保管庫であり、研究者に「神殿宝庫」と呼ばれる場所である。 ![]() 遺跡:クノッソス宮殿遺跡・西翼部・神殿宝庫(現在 立入禁止区域) ・奥側=西側の深い大型収納ピット ・中間=後世の浅い小型収納ピット ・手前=東側の深い大型収納ピット 年代:MMIIIA期〜LMIIIA1期・紀元前1625年〜前1375年 クレタ島・中央北部 撮影:1982年 X-14 テラコッタ製・リュトン杯 「雄牛遊び」 ![]() 出土遺跡:コウマサ遺跡・円形墳墓E 表現:テラコッタ製・三人のミノア男性の《雄牛遊び・雄牛乗り》 年代:MMIIA期・紀元前1800年頃 展示:HAM・登録番号4676/長さL208mm 現地:クレタ島・メッサラ平野・フェストス宮殿遺跡〜東南東20km 描画:大久保栄次 GPS:34°59'00''N 25°00'47''E/標高360m 南西部・メッサラ平野のコウマサ遺跡Koumasaの円形墳墓からは、ミノア文明の特徴の一つ、「雄牛跳び」に共通する、テラコッタ製のリュトン杯《雄牛遊び or 雄牛乗り》が出土している。 三基のメッサラ様式の円形墳墓と一基の方形墳墓が確認されたコウマサでは、初期ミノア文明EMII期・紀元前2600年頃から埋葬が始まったとされ、特にテラコッタ製のリュトン杯《雄牛遊び or 雄牛乗り》が出土した円形墳墓Eは、「旧宮殿時代」に相当する時期、中期ミノア文明MMIIA期・紀元前1800年頃の埋葬に使われた。 ![]() 遺跡:コウマサ遺跡・メッサラ様式の円形墳墓群 ・左=円形墳墓B/中央=円形墳墓E ・メッサラ平野〜遠方・クレタ島 最高峰・聖なるイダ山系 標高2,456m 年代:EMII期〜MMIIA期・紀元前2600年〜前1700年 現地:クレタ島・メッサラ平野 撮影:1994年 GPS:34°59'00''N 25°00'47''E/標高360m XII-10 テラコッタ製・「世界最古のお風呂」 《ミノア王妃のバスタブ》 ![]() 出土遺跡:クノッソス宮殿遺跡・東翼部・ミノア王妃のバスルーム 表現:「世界最古のお風呂」=実用のバスタブ 年代:MMIIIA期〜LMIIIA1期・紀元前1625年〜前1375年 展示:宮殿遺構(現在 立入禁止区域) 現地:クレタ島・中央北部 撮影:1982年 クノッソス宮殿遺跡・東翼部・王妃の間コンプレックスQueen’s Room Complex、王妃の間の西側には直結されたミノア王妃のバスルームがある。残念ながら、現在、王妃のバスルームの立入見学は許されていない。 バスルームはそれほど広くなく、内部には小さな鉢植えなどを置いたであろう、高さ1mの仕切り壁と細い円柱一本がある。王妃のバスタブが置かれた実用のお風呂スペースは南北2.4m・東西2.3m、和風サイズ換算=約3畳半の広さである。 120年前、Sir Arthur John Evansによる発掘ミッションの後、時間経過とクレタ島の乾燥した外気に触れていることから、1982年の撮影時点では、ミノア王妃のバスタブにクラック割れが確認でき、石膏プラスターの塗壁表装の剥離も目立ち、変色と劣化もかなり進行していた。 多くの人が関心を持っている《世界最古のお風呂&バスタブ》であるミノア王妃のバスタブは、高温度で焼成された素焼き粘土・テラコッタ製品、頭を置く場が少し縁高の形容である。バスタブの長さは約155cm、現在では色彩劣化でほとんど判別が難しいが、かつてタブの外周側面は円形とツタの葉かパピルスの花、あるいは揺らぐヨシのような植物の葉を連鎖モチーフにしたクール・デザインで装飾されていた。 初めて訪れた1982年では、王妃のバスルームへの立ち入りは許されていたが、現在、ツーリストの立入禁止区域に指定されている。 ---------- ![]() |
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