大久保栄次著 印刷書籍・電子書籍 エーゲ海ミノア文明・ミケーネ文明の遺産 遺跡と出土品詳細データ |
ミノア文明の工芸美術を旅する 「陶器」 |
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・サブタイトル: 精密イラスト画による出土品のデータ解説 ・表記: 日本語 ・形式: ペーパーバック ・印刷: 光沢なし最上質紙 高鮮明度プレミアムインキ ・サイズ: B5版 311ページ 厚さ1.9cm ・販売: Amazonネットワーク/Amazon.co.jp |
内容概要: 本書はB5版・300ページ、エーゲ海の先史ミノア文明遺跡から発掘された出土品の「精密イラスト画&データブック」です。本書はミノア文明センターであったクノッソス宮殿遺跡を初め、クレタ島各地のミノア文明遺跡からの主要出土品の内、一際優れた陶器150点をピックアップしています。解説する出土品の90%以上は精密イラスト画で、残りは写真で公開します。 クレタ島イラクリオン考古学博物館を初め、アテネ国立考古学博物館を含め、各地の考古学博物館で展示公開されている出土品の中から、特に厳選した重要な作品を介して、ミノア文明の「工芸美術の世界」へ誘います。 内容: I ミノア文明&宮殿の概要 II 初期ミノア陶器 III 中期ミノア陶器/カマレス様式 Kamares Style IV 中期ミノア陶器/汎用 General Purpose V 後期ミノア陶器/宮殿様式 Palace Style VI 後期ミノア陶器/海洋性デザイン様式 Marine Design Style VII 後期ミノア陶器/植物性デザイン様式 Floral Design Style VIII 後期ミノア陶器/抽象・幾何学様式 Abstract and Geometric Style IX 後期ミノア陶器/汎用 General Purpose X 儀式・祭祀リュトン杯 Ritual Rhyton XI 装飾用リュトン杯 Rhyton for Decoration XII 日常生活用の陶器 Pottery for Daily Life XIII テラコッタ塑像&陶棺Terracotta Figurine & Larnax |
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サンプル・ページ:(抜粋) ---------- 参考・関連:カマレス様式陶器 Kamares style Ware カマレス様式陶器Kamares style Wareは、「旧宮殿時代」の半ば、中期ミノア文明MMIIA期・紀元前1800年頃から生産が始まり、「新宮殿時代」に至るまで長期間、人々に愛され続けたミノア文明を代表する陶器の一つ、大胆な絵柄と鮮やかな色彩に特徴がある。 「カマレスKamares」とは、この様式陶器が最初に発見された聖なるイダ山系(イディ山/クレタ島最高峰・標高2,456m 別名Psiloritis)の南東山麓のカマレス洞窟Kamares Caveからその名称を由来している。カマレス様式陶器の出土では、特にクレタ島の南西部で多く生産されたことから、発掘ではメッサラ平野のフェストス宮殿遺跡からの出土例が圧倒的で、作品の上質なセンスと絵柄の表現力は際立っている。 聖なるイダ山系・カマレス洞窟の位置は、フェストス宮殿遺跡〜北方12kmの標高600mのカマレス村からトレッキングルートを北方へ3時間登った、ほとんど植生のない標高1,700m付近の荒涼の岩石斜面である。車で行ける人気のある標高1,350mのニダ高原Nidas Plateau〜南南西3.5kmの距離である。 南北40m以上の開口幅、西方へ大きく開口したカマレス洞窟は、先史時代からの崇拝の場所、19世紀の末期村人により発見され、その後、1913年、イギリス考古学チームが洞窟内部の本格的な調査を実施した。 GPS カマレス洞窟:35°10'39''N 24°49'39.50''E/標高1,700m GPS ニダ高原:35°12'27''N 24°50'25''E/標高1,350m ![]() 遺跡:コウマサ遺跡・メッサラ様式の円形墳墓群 ・左=円形墳墓B/中央=円形墳墓E ・メッサラ平野〜遠方・クレタ島 最高峰・聖なるイダ山系 標高2,456m 年代:EMII期〜MMIIA期・紀元前2600年〜前1700年 現地:クレタ島・メッサラ平野 撮影:1994年 GPS:34°59'00''N 25°00'47''E/標高360m III-06 カマレス様式・ペリカン型注ぎ口付き水差し ![]() 出土遺跡:フェストス宮殿遺跡・南西翼部・聖域 表現:カマレス様式のペリカン型注ぎ口付き水差し 「アワビ貝?」の紋様、渦巻き線・旋回曲線の複雑パターン 年代:MMIIB期・紀元前1700年〜前1625年 展示:HAM・登録番号10073/H267mm 現地:クレタ島・メッサラ平野 描画:大久保栄次 ![]() 遺跡:フェストス宮殿遺跡・南西翼部・聖域区画 状態:(現在 立入禁止区域) ・左手前=L型ベンチ・円柱の部屋 ・中央角柱壁=南北通路 ・遠方平坦屋根=「聖なる浴場」 年代:新宮殿=MMIIIA期〜LMIB期・紀元前1625年〜前1450年 (一部 旧宮殿=MMIB期〜MMIIB期・紀元前1900年〜前1625年 現地:クレタ島・メッサラ平野 撮影:1982年 ![]() 遺跡:フェストス宮殿遺跡・南西翼部・聖域区画 プラン図 年代:新宮殿=MMIIIA期〜LMIB期・紀元前1625年〜前1450年 (一部 旧宮殿=MMIB期〜MMIIB期・紀元前1900年〜前1625年) 現地:クレタ島・メッサラ平野 作図:大久保栄次 III-08 カマレス様式・ピトス容器 「魚」モチーフ ![]() 出土遺跡:フェストス宮殿遺跡・東翼部・第64室(王子の部屋) 表現:カマレス様式・「逆さ梨型」のピトス容器、魚・渦巻き線・波状紋様 年代:MMIIB期・紀元前1700年〜前1625年 展示:HAM・登録番号10679/H495mm 現地:クレタ島・メッサラ平野 描画:大久保栄次 III-09 カマレス様式・ピトス容器 「渦巻き線」モチーフ ![]() 出土遺跡:フェストス宮殿遺跡・東翼部・第64室(王子の部屋) 表現:カマレス様式の注ぎ口付きピトス容器、連鎖する渦巻き線紋様 年代:MMIIB期・紀元前1700年〜前1625年 展示:HAM・登録番号10678/H690mm 現地:クレタ島・メッサラ平野 描画:大久保栄次 参考・関連:フェストス宮殿遺跡・西翼部〜北翼部〜東翼部 ![]() 遺跡:フェストス宮殿遺跡 状態:西翼部〜北翼部〜東翼部 プラン図 年代:新宮殿=MMIIIA期〜LMIB期・紀元前1625年〜前1450年 (一部 旧宮殿=MMIB期〜MMIIB期・紀元前1900年〜前1625年) 現地:クレタ島・メッサラ平野 作図:大久保栄次 GPS:35°03’05’’N 24°48’51’’E/標高85m VI-02 海洋性デザイン様式・アラバストロン型容器 ![]() 出土遺跡:クノッソス地区・小宮殿遺構 表現:海洋性デザイン様式のアラバストロン型容器、タコの絵柄 年代:LMIB期・紀元前1500年〜前1450年 展示:HAM・登録番号2690/H180mm 現地:クレタ島・中央北部 描画:大久保栄次 VI-03 海洋性デザイン様式・鐙型注ぎ口付き水入れ ![]() 出土遺跡:パライカストロ遺跡・「ミノア最大の街」・「Block B」 表現:海洋性デザイン様式・鐙型注ぎ口付き・レンズ形状のフラスコ型水入れ、タコの絵柄 年代:LMIB期・紀元前1500年〜前1450年 展示:HAM・登録番号3383/H280mm 現地:クレタ島・最東部 描画:大久保栄次 参考・関連:パライカストロ遺跡・「ミノア最大」の街遺構 ![]() 遺跡:パライカストロ遺跡・「ミノア最大」の街遺構 プラン図 年代:街の家屋=新宮殿時代・MMIIIA期〜LMIB期・紀元前1625年〜前1450年 現地:クレタ島・最東部 作図:大久保栄次 パライカストロ遺跡・「ミノア最大」の街遺構 ![]() 遺跡:パライカストロ遺跡・市街地・大通り 「ミノア最大の街」のセンター(中心エリア) ・左=ブロックB/左遠方=Palako半島 ・右=ブロックΓ/右遠方=岩山Petsofa(山頂聖所) 年代:最初の居住=MMIB期・紀元前1900年頃〜地震・崩壊・再建 街の家屋=新宮殿時代・MMIIIA期〜LMIB期・紀元前1625年〜前1450年 現地:クレタ島・最東部 撮影:1996年 V-01 宮殿様式 Palace Style・大型ピトス容器 “クノッソス宮殿限定品” ![]() 出土遺跡:クノッソス宮殿遺跡・西翼部・西貯蔵庫・第11号〜13号室 表現:宮殿様式Palace styleの大型ピトス容器、植物性デザイン&両刃斧・ロゼッタ紋様 年代:LMII期・紀元前1450年〜前1400年 展示:HAM・登録番号7757/H1,345mm 現地:クレタ島・中央北部 描画:大久保栄次 後期ミノア文明LMIB期・紀元前1450年頃、クレタ島の三か所のミノア宮殿と無数の地方邸宅と庶民の町が、ギリシア本土からの「侵攻ミケーネ人」により相次いで徹底的に破壊された。 そうして、紀元前1375年頃にクノッソス宮殿が大火災で最終崩壊するまでの約75年の間に、「占領ミケーネ人」の統治下の東翼部・陶器工房の腕の立つ職人達は、「新宮殿時代」の”最後の文化の花” と言っても過言とならない、ミノア文明を象徴するに値する美しい陶器様式を確立した。それが “クノッソス宮殿の限定品” となる、当時、東地中海域で「最も美しい陶器」と呼ばれた宮殿様式陶器Palace style Wareである。 紀元前1450年頃のミケーネ人の侵攻後、破壊を免れたクノッソス宮殿で発達した宮殿様式陶器は、事実上、発掘ではクノッソス宮殿遺跡と宮殿区域の邸宅、そして周辺に点在する王家に関わる墓地&墳墓からのみ出土する。 Sir Arthur John Evansの発掘では、クノッソス宮殿遺跡・西翼部、西貯蔵庫・第11号室〜第13号室周辺から、宮殿様式陶器の「最高作品」と強調できる高さ1,345mm、装飾用の大型ピトス容器Pithos Jarが見つかっている。当然、ピトス容器はクノッソス宮殿の最終崩壊の時、紀元前1375年頃、間違いなく西翼部の上階に存在した聖なる北西儀式広間Northwest Sanctuary Hallなどから崩落した、と断定できる。 この宮殿様式の大型ピトス容器は装飾用である。その絵柄は基本的には穏やかな印象を与える植物性デザインであるが、ミノア文明の最高崇拝シンボルであった両刃斧Double Axeとロゼッタ紋様Rosetteを中央スペースに威厳を秘めながら堂々と表現している。 ギリシア本土ミケーネ文明の系譜である宮殿様式陶器では、器形の美しいアンフォラ型容器を初め、水差しなど多くの作品が出土している。しかしながら、今までにクレタ島内で出土・確認されている宮殿様式陶器の内、絵柄デザインの内容に限定するなら、8基の両刃斧をデフォルメして簡略的に描くのではなく、精緻な細線で正確に描写するこの装飾用の大型ピトス容器こそが、最も高い格式でクノッソス宮殿の統治者を称えていると強調できる。 故にミノア陶器において、これ以上の畏敬象徴する上質なアートモチーフは他に見当たらない。この大型ピトス容器がクノッソス宮殿の最終ステージの時代、西翼部二階の宮殿で最も壮麗な広間、聖なる北西儀式広間を飾るのに相応しい、最高の装飾品であったのは間違いないだろう。その製作は「新宮殿時代」の後半、後期ミノア文明LMII期・紀元前1450年〜前1400年である。 ![]() 遺跡:クノッソス宮殿遺跡・西翼部二階 プラン図 参考情報:Sir Arthur John Evans発掘レポート The PALACE of MINOS at KNOSSOS v. II (1928 年) 年代:主に新宮殿時代の遺構/部分的に旧宮殿時代の遺構 ・新宮殿=MMIIIA期〜LMIIIA1期・紀元前1625年〜前1375年 ・旧宮殿=MMIB期〜LMIIIA1期・紀元前1900年〜前1375年 現地:クレタ島・中央北部 作図:大久保栄次 II-01 アギオス・オヌフリオス様式Agios Onouphrios style・水差し ![]() 出土遺跡:アギオス・オヌフリオス遺跡Agios Onouphrios・円形墳墓 表現:アギオス・オヌフリオス様式の水差し、優美な器形、微細線の紋様 年代:EMI期・紀元前2700年〜前2600年 展示:HAM・登録番号5/H215mm 現地:クレタ島・メッサラ平野/フェストス宮殿遺跡〜北北西1km 描画:大久保栄次 GPS:35°03'33.50''N 24°48'26.50''E/標高35m VI-01 海洋性デザイン様式Marine Design Style・水入れ ![]() 出土遺跡:ザクロス宮殿遺跡・西翼部 表現:海洋性デザイン様式の水入れ、アオイガイArgonautの絵柄 年代:LMIB期・紀元前1500年〜前1450年 展示:HAM・登録番号14098 現地:クレタ島・最東部 描画:大久保栄次 参考・関連:ザクロス宮殿遺跡・西翼部 ![]() 遺跡:ザクロス宮殿遺跡・西翼部一階レベル プラン図 年代:MMIIIA期〜LMIB期・紀元前1625年〜前1450年 現地:クレタ島・最東部/シティア市街地〜南東19km 作図:大久保栄次 GPS:35°05'53''N 26°15'40''E/標高5m ザクロス宮殿遺跡・西翼部・宝庫 ![]() 遺跡:ザクロス宮殿遺跡・西翼部・宝庫 状態:宝飾品保管の焼きレンガ枠(仕切り板) 年代:MMIIIA期〜LMIB期・紀元前1625年〜前1450年 現地:クレタ島・最東部 撮影:1982年 IX-01 アラバストロン型容器・ナイル自然様式 「水辺」モチーフ ![]() 出土遺跡:フェストス宮殿・カリヴィア共同墓地 表現:アラバストロン型容器、ナイル自然様式Nilotic Landscapes style=水鳥・パピルスの絵柄 年代:LMIIIA2期・紀元前1375年〜前1300年 展示:HAM・登録番号1588/H230mm 現地:クレタ島・メッサラ平野 描画:大久保栄次 ---------- ![]() |
ミノア文明のクレタ島(クノッソス宮殿遺跡)寄港・「エーゲ海クルージング」 |