legend ej の心に刻む遥かなる「時」と「情景」

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「イエメン砂漠の摩天楼」オアシス・シバーム Oasis Shibam

灼熱の砂漠 オアシス・タリム Oasis Tarim/オアシス・サユーン Oasis Seiyun

UWH

イエメン砂漠の摩天楼/シバーム/(C)legend ej
「砂漠の摩天楼」オアシス・シバーム/日乾レンガの高層住宅群/イエメン砂漠/1998年・夏

ワディ・ハダラマート大峡谷/オアシス・シバーム

世界遺産/砂漠の摩天楼/泥レンガ造りの高層住宅
イエメン(イエーメン)の砂漠の彼方にある「城塞都市オアシス・シバーム Oasis Shibam」の街を遠く眺める時、誰もが高層ビルが林立する一大近代都市を見るような錯覚を覚える。しかし、ほんの一部を除き、このオアシスの建物の殆ど全ては岩石と日乾レンガを一つずつ積み上げて完成させた泥の建造物群である、と言われても、即信じることはできないだろう。
見た目にも大きく歪み、今にも崩れそうな建物もかなりあり、色々なデザインの家々が巨大な集合体となり建ち並ぶ。その建物の数400棟とも、500棟とも言われている。昔から人々はこの街をして「イエメン砂漠の摩天楼」と呼ぶ(上写真)。

高層の建物一軒が一家族分で、おおむね2階以上が家族の住まい用として使われ、洗濯物がひらめく家々の屋上同士は泥の連絡通路で迷路のように結ばれ、敵の攻撃があっても互いにいつでも避難できる構造になっている。入口ドアーはどう見ても強固すぎる異様に大型の鍵が備え付けられ、どの住宅も道路から建物内部や内庭を覗くことも増しては侵入することもできない。

砂漠の中に厳然と存在する要塞化された都市国家のようなオアシス・シバームの街、このUNESCO世界遺産の古いオアシスを眺めていると、その建物の構造と建築技術に驚きを覚えるのは当然だ。
その上で、異民族や他の部族の襲撃に備え強固な城壁を設け、その狭い中で伝統的な砂漠での厳しい生活を営む人々の歴史と繁栄を考えると、こんな苛酷な自然条件下であっても、人が生きていかねばならない忍耐と試練、そして希望さえも感じる。

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ワディ・ハダラマート/シバームの位置/オアシスの規模
「イエメン砂漠の摩天楼」のシバームは、その名の通りイエメン砂漠の中の比較的大きなオアシスである。「砂漠」と言っても、シバーム周辺では、普通の人がイメージする全面砂の世界ではなく、荒涼とした岩平原と草木の存在しない峡谷で構成されている。
住む人も限りなく無いに等しい、緑のまったくない広漠たるイエメン砂漠に、3,500万年前に起こった太古の大洪水の置き土産である東西200km、幅1km〜8km、深さ200m以上、地球の裂け目のような巨大な峡谷・ワディ・ハダラマート Hadahramawt が走っている。

オアシス・シバームはアラビア半島で最大級と言われるこの大峡谷の川底の平地に造られた古いオアシスである。
イエメン砂漠の中央部となるオアシス・シバームは、首都サナアから東方へ直線で約500kmの距離であるが、途中の危険地帯マーリブ Marib の乾燥砂漠と荒野を経る陸路での移動は難を極める。
ならば、南方300kmにあるインド洋の港町アル・ムカーラ Al Mukalla から岩砂漠を越るルートを使って達するか、あるいは首都からナショナル・フラッグのイエメニア航空のローカル・フライトでオアシス・サユーン Oasis Seiyun まで飛行する以外に、ここオアシス・シバーム訪れることはできない。

シバームは空港のあるサユーンの西方18kmの位置、城壁に囲まれた世界遺産の旧オアシス区域は、東西400m 南北270mの長方形の広さ、その面積は東京ドームの約2,3倍となる。
現在では、城壁の旧市街の外側にシバーム新市街が広がり、特に市街からワディの北側一帯には給水管理されたナツメヤシの林が広く点在する。このオアシス・シバームの歴史は8世紀とも、9世紀以来とも言われる。当然、枯れた河である大峡谷ワディには流れる水はないが、微かな地下水脈が走り、その水源のピンポイント場所がシバームであり、遠く1,000年も以前からイエメン砂漠の重要なオアシスとして成立して来たのである。

※2015年7月、ドイツで開催されたUNESCO・世界遺産委員会は、イエメンの政情不安と内戦による破壊が進んだことから、世界遺産・「首都サナア旧市街」とワディ・ハダラマート峡谷の「城塞都市シバーム」を「危機遺産」に指定した。

          イエメン共和国 地図/作図=legend ej
          イエメン概略マップ/面積=日本の約1.5倍/作図=Web管理者legend ej


熱感光するフィルム/賑わうスーク(露天市場)/給水ナツメヤシの林
陽光は容赦なく照射し極乾燥で無風、オアシス・シバームで会ったオランダからの中年夫婦の顔は熱射に慣れていないことから日焼けで真っ赤に炎症していたし、カメラは焼けた金属ブロックのように熱せられ、持参したブローニーフィルムが熱感光するほどの気温60℃の耐え難い環境だ。

途轍もなく熱い、熱過ぎる真夏の季節にあえて砂漠の彼方にあるこのオアシス・シバームを訪ねた意味と価値を、熱射で頭痛が始まり倦怠感の身体にムチ打ちながら登った小高い丘の上で、日乾レンガの高層建造物を眺めながらはっきりと認識した。1980年頃のテレビ番組で見たこの城壁に囲まれた独特な形容のオアシスの存在に、「何時か独りで訪ねたい場所」として密かに捉えてきて、厳しい旅行条件ながら今ようやく希望が叶えられた。

その感慨と反比例する現実の猛烈に熱い大気、持参したミネラル・ウォーターの残量は見る見るうちに減り続け、クラクラとする頭痛を覚えながらも、世界遺産オアシス・シバームを眺める時、「無理して独りで訪ねて良かった・・・」としみじみと想い、自分を激励する。

ワディ・ハダラマート大峡谷/オアシス・タリム

灼熱の宗教都市/オアシス・タリム
イエメン(イエーメン)砂漠の中心サユーンから北東へ約35kmにオアシス・タリム Oasis Tarimがある。この周辺では比較的大きな街であるオアシス・タリムの、狭い通りに沿って密集的に建ち並ぶ建物や住宅のほとんどは、壁状に積み上げた岩石と日乾しレンガ造りの構造、泥漆喰の表層仕上げである。

イエメン砂漠・タリム/(C)legend ej
            オアシス・タリム/密集する日乾しレンガの住宅群/イエメン砂漠/1998年・夏

かつて中世イスラムの時代には、このオアシス・タリムには150を数えるイスラム教モスク寺院が建ち並び、若い生徒を育成する神学の寄宿学校も数多く存在したとされ、イエメン砂漠の宗教と文化センターの役割を果たす都市であったと言う。
巨大な峡谷ワディ・ハダラマートの名の通り、乾いた厳しい大自然を相手とするこのハダラマート峡谷地方は、予想外にも西部の山岳地方との関わりも少なく、イエメン国内でも独自な歴史と文化を保有してきたとされる。

紀元7世紀に生まれたイスラム教がアラビア砂漠を経由して、ハダラマート峡谷地方へは比較的早い段階で伝わり、結果、この地方から多くのイスラム宗教学者や知識人、交易商人、今で言う国際ビジネスマン達が輩出された。彼らの多くはこのオアシス・タリムで学び、アラビア半島のみならず、海を渡り遠く東南アジア方面へ進出して、イスラム教の普及の直接・間接的な原動力となったとされる。

また、13世紀にイスラム教が盛んになる現在のインドネシアやマレーシア周辺の島々を治めた小さな王国とその王室の祖先と系譜の多くは、このハダラマート渓谷の出身者に遡る、とも言われている。

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岩陰気温=47℃/イエメン砂漠の「生きる術」
真夏8月の真っ昼間、オアシス・タリムの極端な乾燥と容赦のない砂漠の太陽は、何もかも焼き切るように外気温60℃で熱射し、耐え難いほど過酷な自然環境を作り出す。極端な乾燥と激烈な高温、デジタル温度計は岩陰でさえ47℃という信じられない数値を示していた。

前夜、寝る前に見たカタールの国際放送局が流していた中東エリアの天気予報が当たっていた。目鼻立ちの整った湾岸のお天気お姉さんは、「明日も砂漠地帯は45℃以上になるでしょう・・・」と平然と説明していた。これが真夏の中東諸国の日常であり、体温を10℃も超えた熱射の気温が取り立てたニュースになる訳でもなく、気象予報官から大げさに高気温の警報が出されることはない。

水と緑に恵まれた東洋のどこかの平和な国のように、熱中症で病院へ搬送される人が出ると大騒ぎとなり、ニュースや天気番組ではお決まりの「猛暑日なので小まめに水分摂取、外出には注意しましょう!」とかの親切心の警報を流す。しかし、東京では多かだか35℃の、言ってしまえば「涼しい気温」である。

私が生まれたのは、「2018年7月・国内最高気温=41.1℃」を出した埼玉県熊谷市の西方7kmの田舎である。なので、幼い頃から夏の高温と毎日夕方に発生する激しい雷と雷雨には比較的慣れているはずのだが、イエメン砂漠のこの熱さは尋常ではない。

オアシス・タリムの真夏では、毎日が外気温60℃、岩陰でさえも45℃以上の耐え難い日々が続き、たとえ熱射で倒れた人が出ようとも当局はお構いなしだ。「自分の生命は自身で守る」という、イエメン砂漠で生きるための厳しい掟(おきて)が、誰にでも平等に絶対に優先される。
だから、外気温60℃でも、熱中症もなく、高温の熱射で倒れる人は皆無、ましては救急車など存在しない。イエメン砂漠のすべての人々は単細胞のアマチュアではなく、厳しい大自然に立ち向かう「生きる術」を知っているのだ。

日本の「四季」・「自然の恵み」・夕焼けの「茜色」/イエメン砂漠の辞書にない言葉

過酷な大自然/「自然の恵み」とは?
東洋の日本には世界に誇れる美しい彩りの四季がある。アジア温帯気候帯に属する日本で認可された社会科の教科書に必ず記述される「自然の恵み」などという美しい響きの言葉を、ここイエメン砂漠で生き抜く子供達は誰も知らないし、大人とて自分達の伝統を秘めた「人生の辞書」の中で、この言葉・「自然の恵み」を探し出せない。

この地、巨大な峡谷ワディ・ハダラマートでは、極乾燥や容赦のない熱射、生物の生息が難しい砂と岩だらけの砂漠や激しい砂嵐が大自然にあたる。が、それらはここで生き抜く人間へ「自然の恵み」をもたらすことはあり得ない。イエメンの砂漠地方の人々にとり、大自然は毎日生存と死が紙一重という環境で生き続けるための過酷な闘いの相手であり、運命であり、非常なる恐れでもあるのだ。

東洋の国では、自然の恵みをもたらす太陽は、畏敬の「神」にも匹敵する崇める対象であるが、このイエメン砂漠の太陽は、隙在らば生存を脅かし、生命を奪うことさえあり得る敵対する危険な対象であり、神的要素のない宇宙物理学の単なる「光源」なのだ。
イエメン砂漠の「神」は唯一「アルッラーの神」である。砂漠の人々を救えるのは「アルッラーの神」だけであり、太陽も、砂漠も、人も、すべて「アルッラーの神」に支配された単なる物質である。

世界遺産/首都サナアの旧市街「スーク」
イエメンの人々の表情/ジャンビア・ナイフの青年/麻薬カート/チャドルの女性達


砂漠での頭痛と倦怠感
真夏のイエメン砂漠に来て、遠い東洋の国では経験もできない余りの高温と乾燥状態では、人間は目まいに見舞われ、思考を拒むジンジンとした頭痛が起こることを、私は初めて知った。
当然のことに、この熱射の下では、砂漠の人々でさえも比較的涼しい家内にじっと留まり、暑さに強いはずのラクダや犬もサソリさえもがナツメヤシの林や岩の下で涼と取る。こんな時、オアシス・タリムでは動くものは何一つなく、ただ熱射が降り注ぐ日乾しレンガ造りの家々が立ち並ぶ街は、死んだように微動ださえもしないで静まり返る。


ミネラル・ウォーターのボトル
対応する意欲と考えることを退化させる激烈な気温の世界に身を曝し、独り黙って岩陰に身を潜め、持参のミネラル・ウォーターを飲み続け、濃厚UVサングラスの中で目を細める。
熱中症寸前の朦朧とした意識で眺めるオアシス・タリムの雑然としながらも、日乾しレンガの家々の建ち並ぶ幾何学模様は、私にとって心に刻む遥かなる「時」、この焦げ茶色の色彩と外気温60℃の眩しい強烈な印象は、生涯私の記憶域から消えることはないであろう。

これは正真正銘、二度と体験できない「人生の眺め」なのだ、と辛うじて自分を取り戻しながら、乾きに我慢できずに再び抱え込んだミネラル・ウォーターのPETボトルのキャップを開ける。映画で砂漠を放浪する主人公の冒険者が残り少なくなった水筒の水を飲むシーンが良く描写される。
瞼(まぶた)を細め、頭痛と朦朧とした意識、正常な判断力があやふやとなる状態、渇きを癒す私のPETボトルのミネラル・ウォーターは、正に映画の中の主人公の水筒そのものである。そして、再びPETボトルのキャップを開ける・・・こうしてあまりの乾燥に耐えられず、私は日に5リットルの水を飲み干してゆく・・・

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夕陽は灼熱の「火の玉」/起り得ない夕方の茜色

ずーと以前、1973年、若かった私はサハラ砂漠のど真ん中で、アルジェリア軍MPパトロールに「スパイ」の疑いで拘束連行された苦い経験がある。あのサハラ砂漠で見たのと同様に、夕方、極乾燥のイエメン砂漠で見る太陽は、日本なら子供の頃から誰もが描いてきたピカピカと放射状に輝く美しい光線もなければ、周りに三角形の黄金色の発光帯もない。

サハラ砂漠の「砂」/(C)legend ej イエメン砂漠の夕陽は、高温の溶鉱炉から出た溶解銑鉄か、線
 香花火の玉のように、真っ赤より少し朱色を混ぜた、今まで見たこ
 ともないほどの異様とも言える純色を放す巨大な「火の球体」のよ
 うである。

 それは誰が見ても輝いている太陽とは到底言えず、ただ遠い空間
 に浮いた想像を絶する永遠に燃え続ける高温の「赤い巨大物体」
 という感覚だ。
 イエメン砂漠のワディ・ハダラマートの荒涼たる地に立ち、日没を独り
 で眺めていると、心にしみるもの哀しい感傷ではなく、むしろSF物語
 の恐ろしい怪奇現象を見ているような、身震いを伴う観を覚える。




 アルジェリア・サハラ砂漠の砂/オアシス・オアグラ近郊砂丘 採取
 1973年・冬




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さらに言うならば、日本には夕方の「茜色(あかねいろ)」という抒情詩的で美しい言葉がある。しかし、砂漠地方の夕方の西の空には、こんなお上品な言葉も雰囲気もまったく存在しない。
雲も湿気もない乾燥した大気と地平線の彼方に、光ることのないただ赤く発色するだけの真ん丸い火の玉がスーと音もなく消えて行くのだ。その直後、火の球体が空を美しい茜色に染めることはない。

12時間後に、東の地平線から音もなく昇ってくる火の球体がようやく隠れた直後、砂漠の人々は一時的ではあるが安らぎの心境になるはずだ。敵対する大自然の火の玉は、暗闇という半日の時間を経過して、翌朝目覚めた時には再び東の地平線に確実に現れ、前日とまったく同じに容赦のない熱射を人々に浴びせてくるのである。

昼と夜の境目には、夕焼けの美しい色彩も感傷的な雰囲気もなく、多くの生物が頼りにする光源の役目を果たした火の球体の太陽が地平に沈むという宇宙の普遍の大法則が厳格に遂行された後、明るさを反射する雲や水蒸気がないため、間髪入れずに暗闇が一気に押し寄せる。そうして極乾燥の砂漠では主役の入れ代わりが起こり、突然のごとく満天に輝く銀河の世界が出現するのだ。

東洋ではあり得る夕焼けの時間がここでは成立しない故に、日没から暗闇、そして銀河の洪水へと、舞台が音もなくドラマティックに正確に変化するのだ。「刻一刻」と言う、幾分スローで叙情的な表現ではなく、「1/100秒刻み」でアッと言う間に変化して行く。観衆が誰も居ない舞台なのに毎日、規則正しく熱射の太陽と暗闇の世界がアールタネイトするのだ・・・

イエメン砂漠/満天の銀河

砂漠は魔術師
多くの人が砂漠に滞在して初めて知ることになるが、星座は地平線の彼方でも自身の立つ真上の天空でも、まったく同じ照度で純粋な光を放すものという、湿気の多い東洋の日本では考えられない不思議な光景に魅了される。
そして、誰もがプラネタリウムで観るより、さらに大きく信じられない数の星座と星雲が、膨大な量の割れた発光ガラス片となって、頭上から地上のすべての物へ挑むかの如く、一斉に降って来るかのような神秘的で少々怖くなるほどの精緻な錯覚に囚われる。

それは、直径35mの世界最大ドームを誇る「名古屋市科学館」や世界最高の光学式メガスター機とデジタル・プラネタリウムを駆使する「かわさき宙(そら)と緑の科学館」で見る天井描写など、言うのは失礼だが、「ほんの子供だまし」となってしまう。

そしてまるで大自然の驚異や神秘なる世界を得意とする「ディスカバリー・チャンネル」のドキュメンタリー・プログラムか、地上600km上空でハッブル宇宙望遠鏡が捉えた宇宙の彼方に存在する星雲の映像が衛星チャンネルやサイエンス雑誌の写真ではなく、現実に自分の頭上に広がる天空と言う巨大画面に超鮮明に、しかも超高密度で映し出されているような大迫力である。

輝く星の数が想像を絶するほどはっきりと出現することで、「オリオン座」とか「カシオペア座」など、いわゆる星座を構成する比較的大き目の星が、果たしてどの星なのか判断に迷うという現象が起り得る。もはや点と線で目立つ星を結ぶ特定の星座にまつわる占星術のロマンティックな感覚は消え失せ、大自然の驚異と言える天空を飾る発光ガラス片の圧倒的な数量に、唖然として発する言葉さえも失うほどだ。

イエメン砂漠で見る銀河の明るさは、現実に本が読めそうな極端に明るい照度である。しかも大気に湿気が多く含まれる日本なら、ほとんどすべての星が光の波長のためか、瞬間的に光が強弱のタイムラグ、あるいはパルス現象を起こすためか「キラキラ」と輝いているように見える。

しかしイエメン砂漠で見る星は「キラキラ」のパルス光波を放すのではなく、消えることのない強力な照明ランプの如く、音を立てずに何時までもずーと「光りっ放し」の状態である。と言っても、日本人の薄っぺらな理科の基本知識の範疇を優に超えた、この砂漠の夜の感動的な不思議な現象は、実際に現地に滞在した人のみが理解できることなのだが・・・

また、聞いた話では、日本で「一番きれいな星空」が見えるのは、長野県の中央アルプスの駒ケ岳とも、あるいは八ヶ岳山麓とも・・・しかし、そのような場所での「星の観測」は、頭の真上に限定して「かすかに光っている星」の、言ってしまえば人間の鈍感な目に見えない靄(もや)を通して眺めるシャープさに欠ける映像である。
このイエメン砂漠では10万光年の彼方から純粋な光を送って来た星の純色を見るのである。言葉による説明では、この絶対的な差異は実感も理解もできないかもしれないが・・・

これは日中60℃の熱射を耐え抜いた人だけが、30℃以上も気温が急下降する夜半になり、ようやく大自然のご褒美(ほうび)として頂ける特権の「感動物語」と言えるだろう。
イエメン砂漠には「自然の恵み」は存在しないが、「自然の驚異」は間違いなく存在する。過激に言ってしまえば、熱射の後、一転して出現する砂漠の魔術師が創り出すこの満天の銀河の「天井絵巻」を知らずして、知ったかぶりして一体イエメン砂漠の「何」を語れるか? ましては日本の社会で本物の「星空」の話などできるか?である。

飲んだ5リットルのミネラル・ウォーターがすべて汗となり蒸発してしまい、結果、日にたった3回の濃黄色の小便しか出ないことに驚かずに時折国際テロリストの自爆テロや過激な武装グループによる外国人の誘拐トラブルが起るリスクは否定しないが、「百聞は一見にしかず」、ともかくも思い立ったら生涯に一度だけで良い、イエメン砂漠の大峡谷ワディ・ハダラマートに滞在すると良いであろう。

そうすれば満天の星と星座が乱舞する美しく神秘的な「天井絵巻」を、誰にも邪魔されずに体験できるはずである。夢を見ているような、音のまったく無い、☆☆☆・・・の大宇宙スペクタクルを、液晶モニタ65型の横長テレビの小画面でなく、鑑賞券を買うこともなく、全天空の巨大画面を独り占めできるのだ。
そうして宇宙の永遠の彼方へ響くほどの心地良いうねる様なリズム感の中東ベリーダンス音楽、Maroon Shakerが奏でる≪Sealed Book≫などを、ここイエメン砂漠で聞くならば、それこそが幻覚の世界へ誘惑されてしまうほどの幸福感を得ることができるであろう。

オアシス・サユーン/ホテルにて

「冷たい」はずの水道水⇒「お湯」と化す
イエメン砂漠の中心地となっているサユーン Seiyun は、広大な給水ナツメヤシの林に囲まれた大きなオアシスである。現在は博物館となっている白亜の旧宮殿を中心に、かなりの規模で賑わうスーク(露天市場)が開かれ、迷路の市街にはホテルや食堂、日用品の商店などが建ち並ぶ。また、サユーンには国内線の空港があり、シバームやタリムなどイエメン砂漠のオアシスを訪れるツーリストの殆どが滞在の拠点とする町である。

夕方、滞在していたオアシス・サユーンのホテルで、「冷た〜いシャワーでも浴びよ〜う!」と思い、「水」のマークの蛇口栓をひねる。しかし出てくる「水」は50℃の高温の「お湯」である。お国柄か、どうせ「手抜き配管工事」で栓を取り違えてセットしたのであろうと、別な「お湯」のマーク栓をひねっても出てくるのは同じ高温45℃以上の「お湯」であった。

お湯も40℃なら適温だが、50℃近くとなるともう我慢の限界を超えている。これではシャワーを浴びるどころか手さえも洗えない。本来なら、世界の常識から言えば、誰も疑うことなく熱い「お湯」に冷たい「水」をミックスさせ、希望する適温にできるはずなのだが。熱射の夏のハダラマート砂漠地方では、砂だけでなく、地中に埋まっている送水する水道管さえもが外気温60℃で焼かれ、結果、冷たいはずの「水」さえも高温50℃近いの「お湯」になってしまうようだ。

もはやどうすることもできず、高温の「水」をタオルに含ませ、指先で何とか絞った熱々の「蒸しタオル」で顔と身体を拭く以外にさっぱり気分を得る術が見つからない。これもイエメン砂漠を訪れるツーリストの「笑うしかない宿命」と思えば良い・・・

将来 クリーン・エネルギー活用が実現できるか?

近未来の砂漠の姿/クリーン・エネルギー変革
もしかすると、毎日が超晴天の高温度の乾いた世界、雨のまったく降らない広大なイエメン・ハダラマート砂漠地方にあっても、今は敵対する熱射の太陽を逆に活用した、クリーン・エネルギーの代表格・太陽光発電のパネル装置が建ち並ぶ、驚きの光景が出現することもあり得るかもしれない。

これは単なる可能性ではなく、近未来のそう遠くない日に、実現に手が届きそうな位置にあると言える。先進の湾岸ドバイやバーレーンや大国サウジアラビアでは、見ての通りSF未来映画に登場するような超近代的な高層ビルが建ち並び、砂漠地帯には太陽光発電用パネルや巨大な風車、海水淡水化装置が並んでいる。これらの隣国と同じように、イエメンでも時代と歴史は、とんでもないくらい一気に大変革の光景を引き起こすかもしれない。

Ref.
外務省・海外安全情報
外務省はイエメン全土に安全情報・「最高危険度4」を発令中、イエメン滞在邦人の同国からの全員撤退と渡航の延期を勧告中。
※現在イエメンへの渡航はできない。

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