legend ej の心に刻む遥かなる「時」と「情景」

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シトー修道会 シルヴァカーヌ修道院(大修道院)Abbaye de Silvacane

モリモン修道院(大修道院)Abbaye de Morimond

「プロヴァンス三姉妹」・シルヴァカーヌ修道院/(C)legend ej
                 シルヴァカーヌ修道院付属教会堂 西正面ファサード/プロヴァンス地方
                 ロマネスク様式の建物とプラタナスの大木の美しい佇まい

「プロヴァンス三姉妹」/シルヴァカーヌ修道院/位置と歴史

シルヴァカーヌ修道院とは
プロヴァンス地方の中心地アヴィニョン(アヴィニオン)へとゆったりと下るデェランス川の南側、ラ・ロック・ダンテロン La Roque d'Antheron は住民5,200人の小さな町である。市街から東方へ約1.5km、北方のデェランス川へ向かってわずかに傾斜する土地に建つシトー修道会のシルヴァカーヌ修道院(大修道院 Abbaye de Silvacane/Silvacane Abbay)では、現在、修道活動は行われていない。

シルヴァカーヌ修道院は、ラベンダーの花咲くセナンク修道院(Abbaye Notre-Dame de Senanque 下写真)と同じく、シトー修道会の「プロヴァンス三姉妹」と美しく比喩され、呼ばれている。
また、プロヴァンス地方では「フランスの最も美しい村」に認定されたルールマラン(ルールマルン・下描画)など、郷愁感を求めるツーリストに人気の高いラ・ロック・ダンテロン村は、「サクランボ祭り」や夏には「国際ピアノ音楽祭」などで知られている。

          プロヴァンス・リュベロン地方 地図/(C)legend ej
              プロヴァンス・リュベロン地方 地図/作図=Web管理者legend ej

セナンク修道院 Abbaye de Senanque/(C)legend ej
            シトー修道会・「プロヴァンス三姉妹」・セナンク修道院/プロヴァンス地方
            夏7月初旬 眩しい地中海の陽光に満開のラベンダー畑が青紫色に染まる
            シトー修道会・「プロヴァンス三姉妹」/ラベンダーの花咲くセナンク修道院

プロヴァンス地方ルールマラン(ルールマルン) Lourmarin, Provece/(C)legend ej
 プロヴァンス地方を旅するツーリストに人気の高い「フランスの最も美しい村」 ルールマラン(ルールマルン)市街
 歴史もあり 郷愁感溢れる静かな村/描画=Web管理者legend ej
 「フランスの最も美しい村」 ゴルド/ルールマランなどプロヴァンス地方の美しい村々


修道院の歴史/創建〜繁栄〜閉鎖/フランス文化財管理
シルヴァカーヌの修道院の創建は、ブルゴーニュ地方ディジョンの北方にあったシトー修道会の「四父修道院」の一つであったモリモン大修道院(後述 Abbaye de Morimond)から来た修道士達により行われた。その建立時期は、シルヴァカーヌ修道院の北東30kmほどにあるシトー修道会・ラベンダーの花咲くセナンク修道院より数年早く、1145年とされている。
また、伝承も含め詳細は明確ではないが、この建立時より以前にこの地に既に小さな礼拝堂が建てられていたことが考古学的発掘により確認されている。

中世ヨーロッパのキリスト教・クリュニー修族・シトー修道会・聖ベルナールの生涯などの詳細
クリュニー修族とシトー修道会/聖ベルナールとクレルヴォー大修道院/「プロヴァンス三姉妹」

シルヴァカーヌ修道院は、1150年以降、プロヴァンス地方の有力者の手厚い保護を受け、更に1171年から13世紀まで随時の増築が行われ、シトー修道会の指導的な大修道院として完成されて行く。しかし、14世紀後半に始まったフランス・カペー朝の継承を巡ってイングランドとの「百年戦争」が起こり、シルヴァカーヌ修道院は大きな被害を受け、さらに15世紀になると修道院はエクス・アン・プロヴァンス大聖堂の聖堂参事会に組み込まれ、その後にラ・ロック・ダンテロンの教区教会となる。
18世紀の「フランス革命」以降、革命政府の強制的な「修道院解散令」を受け、ほかの多くの修道院と同様に1791年、修道院は閉鎖、個人所有者の変遷と保護の幾多を経て、1846年からシルヴァカーヌ修道院は国家財産として収用管理されるようになる。
現在、シルヴァカーヌ修道院はフランスの「歴史的建造物」に指定されている。

Ref.
シルヴァカーヌ修道院の「娘修道院」
シルヴァカーヌ修道院は「娘修道院」として、修道院から北東へ約35km、ラベンダーの花咲く高原ソー Sault の南東20kmほど、標高600mの人家のないブリネット Boulinette の山中に修道士を派遣して、1188年、ヴァルザント修道院 Valsaintes を建立している。

シルヴァカーヌ修道院/建物構成

ロマネスク様式の教会堂/西正面ファサード
ロマネスク様式建築の典型を示すシルヴァカーヌ修道院は、全体面積ではセナンク修道院より少し狭いが、その規模では両者ともほとんど同等、建物の配置もほぼ同様である。ただし、付属教会堂の内陣の方向と位置については、セナンク修道院では北方の位置だが、ここシルヴァカーヌ修道院の教会堂は南区画を占め、内陣はエルサレムの方向である正規の東方に位置している。
丁寧に加工された明色彩の石材を使ったロマネスク様式の教会堂の入口である西正面部ファサードは、1175年〜1220年に建造され、最も高い位置に円形の薔薇窓があり、その下方に半円アーチ形の三つの縦長の窓が明かり取りとなっている(トップ写真)。


教会堂/無装飾の身廊〜内陣
尖頭アーチ形を示すシルヴァカーヌ修道院・付属教会堂の身廊は、左右の側廊も含め、その幅は「プロヴァンス三姉妹」の中で最も長く20m以上ある(下描画)。

     シルヴァカーヌ修道院 Abbaye de Silvacane/(C)legend ej
       シルヴァカーヌ修道院/付属教会堂身廊〜内陣とバラ窓/プロヴァンス地方
       内部装飾は無く 全体が直線とシンプルな曲線で構成/描画=Web管理者legend ej

身廊内部はシトー修道会の「四父修道院」のブルゴーニュ地方ポンティニー修道院やクレルヴォー修道院の聖ベルナールが建立したフォントネー修道院(下写真)など、ほかのシトー修道会系譜の修道院と同様に、余分な装飾を排除する簡素性を基本とするシトー修道会の基本理念が強く反映されている。

フォントネー修道院・付属教会堂 Abbaye de Fontanay/(C)legend ej
           フォントネー修道院・付属教会堂・西正面部(西入口)/ブルゴーニュ地方
           描画=Web管理者legend ej 

             
              フォントネー修道院・付属教会堂/身廊から内陣/ブルゴーニュ地方
              世界遺産/ブルゴーニュ地方フォントネー修道院

僅かな装飾の12世紀ロマネスク様式の柱頭部、そして力強い複合柱で支えられた高さ15mの天井、なだらかな斜面という地形的な条件から、右側廊の床面が身廊より一段分高いということがシルヴァカーヌ修道院の教会堂の顕著な特徴である。

内陣の幅は約7.5m、「プロヴァンス三姉妹」で最も狭く、どっしりとした無装飾の12世紀祭壇が置かれている。内陣東側の壁には身廊入口と同様に円形の薔薇窓と三つの半円アーチ形の窓があり、祭壇付近を厳かに照らす役目を果たしている(上描画)。

                       シルヴァカーヌ修道院/ロマネスク様式の無装飾の回廊

神秘的な色彩の回廊/ロマネスク様式の美しさ/修道院建築の「美の結晶」
修道院がわずかに北下がりに傾斜する土地に建てられた理由から、付属教会堂の建つ修道院の南側区画は幾分高い位置になる。このため教会堂の北側に配置された回廊の床面レベルは、身廊より半階程度低いレベルとなり、また回廊の中間部ではさらに一段の段差が設けられている。

位置的に高い教会堂からの連絡ドアーに立った時、少し眺め下ろす感じとなる回廊床面には、半円アーチ形の支柱群の間を通って、屋根のない中庭からの明るい光が差し込んでいることを知る。
時間と陽光、そして床面石材の表面光沢が偶然に相成ると、回廊は静けさの中でまるで美しい「協奏曲」を奏でるかのように、心なしか薄紫色の神秘的な色合いに染まる。その瞬間、この場に立つ誰もが心打たれ、出る声も言葉さえも失い、ただ黙ってその美しい色彩に魅了される。その圧倒される美しさはかつてこの回廊が修道士達の悟りの場であったことを啓示する(下写真)。

           「プロヴァンス三姉妹」・シルヴァカーヌ修道院・回廊 Abbaye de Silvacane/(C)legend ej
          シルヴァカーヌ修道院/段差のある回廊/プロヴァンス地方
          回廊は時間と陽光、床面石材の光沢が相成ると神秘的な美しい色彩に染まる

セナンク修道院 Abbaye de Senanque/(C)legend ej
       セナンク修道院/12世紀ロマネスク様式の回廊/光のコントラストが美しい/プロヴァンス地方

わずかだが装飾が施されたセナンク修道院の回廊(上写真)とは異なり、シルヴァカーヌ修道院の回廊の支柱は、装飾を極度に控えた幅と重量感ある「壁」とも思える荒削りの大型角柱である。この荒削りの大型角柱の回廊建築は、ブルゴーニュ地方ポンティニー修道院の半崩壊状態の回廊に類似する(下描画)。
これは明らかに簡素な精神をより強く意識するシトー修道会の基本思想が反映されたもので、またそれは直線と曲線の単純な構成 のみで成り立つ、12世紀ロマネスク様式の特徴を最大限に融合させた中世修道院建築の「美の結晶」でもある。

シトー修道会・「四父修道院」/モリモン修道院

モリモン修道院の歴史/創建〜繁栄〜崩壊
「プロヴァンス三姉妹」の一つ、シルヴァカーヌ修道院は、「四父修道院」にあたるモリモン大修道院 Abbaye de Morimond からの修道士達により創建された。故にシトー修道会の系譜としては、シルヴァカーヌ修道院はモリモン修道院の数ある「娘修道院」の中で「第20番目」とされる。

  シトー修道会・修道院建立順/年代時系列/創設〜トップ15番目(16番目以降 省略)

建立順 創建年 修道院名称 所在地/主要都市からkm
01 1098 シトー (創設) Citeaux ディジョン南方20km 「母修道院」
02 1102 バラネア Balanea 中東・十字軍国家・トリポリ伯国
03 1113 ラ・フェルト La Ferte ボーヌ南方40km 「四父修道院 1」
04 1114 ポンティニー Pontigny オクセール北東20km 「四父修道院 2」
05 1115 クレルヴォー Clairvaux トロワ南南東55km 「四父修道院 3」
06 1115 モリモン Morimond ディジョン北北東95km 「四父修道院 4」
07 1118 プレゥリィ Preuilly パリ南東70km
08 1118 トロワ・フォンティーヌ Trois Fontaines トロワ北東80km
09 1119 モン・サン・マリー Mt St Marie ブザンソン南東60km
10 1119 ラ・クル・デュー La Cour Dieu オルレアン北東25km
11 1119 ボヌヴォー Bonnevaux リヨン南東35km
12 1119 ボウーラ Bourras ロワール・ヌヴェール北方35km
13 1119 キャドゥアン Cadouin ボルドー東方110km
14 1119 フォントネー Fontenay ディジョン北西60km 世界遺産
15 1120 アストルガ Astorga スペイン・サンティアゴ・コンポステーラ巡礼路

シトー修道会の指導的地位にあったモリモン修道院は、1115年、ディジョンから北方95kmの南部シャンパーニュ地方、現在、民家30軒の小村フリノア・アン・バッシーニ Fresnoy-en-Bassigny(最近=隣村パルノ・アン・バッシーニ Parnoy-en-Bassigny と合併)の外れ、今日の地方道D-139号脇に創建された。
ピンポイントのその場所は、シャンパーニュ地方からベルギー東部の山中を流れオランダへと下るムース川 Meuse の支流であるフランバール川 Flambard の源流部、標高400mの雑木林の中であった。
モリモン修道院は、16世紀のフランス宗教戦争である「ユグノー戦争」や17世紀の「三十年戦争」で大きな被害を被り、再建が行われた。しかし、その後の18世紀の「フランス革命」で徹底的に破壊され、敷地は国有財産となった。付属教会堂はかろうじて残されたが、19世紀になり、それも崩壊してしまう。

モリモン修道院は有名なクレルヴォー修道院と同様に、精力的に「娘修道院」の建立を行った。プロヴァンス地方のシルヴァカーヌ修道院を初め、フランスやドイツ、オーストリアやイギリス、イタリアや東欧など、ヨーロッパ各地で270か所以上のシトー会系譜修道院の建立に直接・間接的に関わってきたとされる。

モリモン修道院の最も有名な「娘修道院」では、先ずドイツ・ケルン大司教・フリードリヒT世が建立して、創建後にドイツとオランダに15か所の「娘修道院」を建てるディッセルドルフの北北西30kmのカンプ大修道院(Kamp 創建1123年)、あるいは神聖ローマ帝国バーベンベルグ家の辺境伯であったレオポルトV世がシトー会修道士となった息子オットーの懇願を受け、ウィーンの南西25kmに建立したハイリンゲンクロイツ聖十字架大修道院(Heilingenkreuz 創建1133年)などが挙げられる。
さらに、イタリアでは、ミラノの南西20kmのモリモンド修道院(Morimondo 創建1134年)、あるいは遠いポーランド・ワルシャワの南方120kmのボンホック修道院(Wachock 創建1179年)などがあり、何れも建立後に神聖ローマ帝国内やイタリアや東欧でのシトー修道会の活動拠点となった大修道院である。

中世ヨーロッパのキリスト教・クリュニー修族・シトー修道会・聖ベルナールの生涯などの詳細
クリュニー修族とシトー修道会/聖ベルナールとクレルヴォー大修道院/「プロヴァンス三姉妹」


モリモン修道院の遺構/今日の状況
森林と川と豊かな丘陵平原が広がる南部シャンパーニュ地方、かつて修道士達が開墾した管理農地を含まない修道院の建物や庭園などの敷地だけでも、東西約700m 南北約400mの広大なスペースを占めていたモリモン修道院は、現在、建物の北翼部であったほんのわずかな壁面を残し、ほかは緑地となり、完全に無と化してしまっている。

修道院の東側には湧き出したフランバール川の清流を堰き止めて、南北1kmの細長い「の字形」の人造湖が造られた。周りを水路で囲まれた長さ180m 幅70mの美しい幾何学庭園への給水、あるいは動力水車を回し養魚用にも使われたであろう湖からの配水遺構が、今日、水と花咲く安らぎの庭園の存在とかつてのモリモン修道院の繁栄と活気をわずかに伝えている。
崩壊して無と化したモリモン修道院だが、現在、南部シャンパーニュ地方の明るい陽光が期待できる4月〜10月の期間、見学者に敷地の公開が行われている。また更地である緑の敷地内では定期的な発掘作業も行われ、かつての修道院建物の基礎遺構もわずかだが陽の目が当てられている。

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